古いレンズとカメラが思い出させてくれること
訳あって古〜いサンニッパ、Ai-S Nikkor 300mm f/2.8 EDを購入。ま、別に撮影に使うわけではないのだが、せっかくなので四半世紀以上前に愛用していたF3Tにつけてみた。やはりこの金属とガラスの塊が持つ冷たさと重量感はたまらん。ファインダーを覗き、スプリットプリズム/マットのスクリーンでピントを合わせてみる。ピント合わせ一つとっても大変な作業だったことを思い出す。電池を入れていないので巻き上げレバーでシャッターをチャージ、スプリングとギア、カムが連動する感覚が手に伝わってくる。AEロックボタン横のレバーを押し下げると「カシャン!」と小気味良い音と共に1/80秒でシャッターが切れる(←F3シリーズは電池なしでもこのやり方でシャッターが切れるようになっている)。何とも懐かしい感触だ。そしてこの頃のハイエンド・ニッコールレンズ特有の梨地仕上げが持つザラつきや、ケースとレンズカバーの内貼りが放つ独特の匂いまでもが次々と古い記憶を呼び覚ましてくれた。あの頃は一枚一枚を必死に、覚悟を決めてシャッターを切っていた。フイルムは残酷なほどに有限であり高価だったのだ。そもそも当時暮らしていたタンザニアではリバーサルが入手できなかったので、友人に日本から送ってもらっていた。
転じて今はどうだろう?メモリー媒体の高容量化とカメラの連射能力向上に伴い、私を含めほとんどの人間がプロ・アマ問わずアホみたいにシャッターを切りまくる事態に陥っている(と言うかボタンを押している間にカメラが勝手にデータを量産してゆく)。それぞれのカットをキメきれていないと不安に駆られるからとりあえずシャッターボタンを押しておくことでその場の気を紛らわしてしまうのだろう。挙げ句「こんなに撮っちまったぜ」的な撮影枚数とデータ量自慢までしてしまう始末。ハードディスクをパンクさせるだけの無駄データを生み出しているだけなのに、それを果たして「撮った」と言えるのかどうか、改めて熟考する必要がある気がする。”初心忘るべからず”。マニュアルフォーカスのサンニッパにそんな説教をされた気がした雨の午後である。