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「したい事をする」という響きの印象と現実

 どうこんばんは。毎日毎日少しも時間を無駄にしたくないという思いがとても強く、必死に活動すればするほどに、撮影データなどなどの処理に時間がかかりまくってより時間がなくなるという魔法をかけられてしまっている可哀想な子羊の忢刄です。

私は現在大学3年生(もうすぐ四年)になるまだ20歳の幼き子何ですが、奇跡的に毎日したい事(写真、映像に携わるような事)をして過ごせているのですが、したい事をして過ごすと聞くと印象として、「楽」「ずるい」「私もしたい」とお思いの方もとても多いと思う。

苦しい思いをして、嫌な事をして、したくない仕事をしている人も多い世の中では、出来る事なら誰しもが、したい事だけして生きて行きたい。と思う事でしょう。

しかし、実際私が、したい事だけをしてみてわかった事は、したい事をするという響きは良すぎるモノのように感じる。

「したい事をする」と「したい事をし続ける」の間には大きな差がある。

「続ける」がキーワードになってくるように感じる。

太古から、「継続は力なり」ということわざ存在し、現代でも、様々な場面で、使われるように、誰しもが聞き馴染みがあると思います。

現代でも聞き馴染みのあることわざであればあるほどに、信憑性、共感度が高い物だと感じます。

継続は力なり。が信憑生が高いということは続ける事は力になる。

なぜ力になるのか。

それは簡単ではないから。大変だから。なのではないでしょうか??

継続するということはとても条件が限られてきて誰しもが、何事も、毎日続けられるということはとても少なく感じます。

現在私は約4年間、インスタグラムの毎日投稿(時々日をまたぐから週7投稿で許してください)をしていて、少し前はそれと並行し、noteの毎日どうこうもしていました。(現在毎日投稿復活中)

自分としては楽しんでできているので、特に苦しいことや、いや、と感じることはないのですが、もし他人が同じ事をしていると、頑張っているな。と感じると思います。

私は、自分の好きな事ができているから、あまり深く、毎日継続することに、考えることはないですが、きっとすごい事をしているんだろうなと、日を増すごとに痛感しています。

したい事をしつづけている人に対し、したい事ができていない人が、文句や、不平不満をこぼすのはとても浅はかだと感じます。

したい事を続ける為にはそれなりの試練や、嫌な事も存在すると思います。

それを超えた先にある、幸せと感じられる、世界に辿り着けるよう、私を見習いながら生活してみてはいかがでしょうは?

私の活動、私生活はインスタグラムのストーリー、投稿に赤裸々に投稿しているので、よければフォローお願いいたします。(goya_111)

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Goya@絶景家
自分でみた景色、触れた世界のみを信じて新たな道を切り開きたいと思っています。沢山の経験、失敗を通じて成長してみせます。賛同してくださる方は是非サポートよろしくお願い致します!後悔はさせません。