長い日陰のはじまり。
どうもこんばんは。風邪の人と同行したため風邪の予兆の匂いがぷんぷんする数本忢刄です。
自己管理をきちんとしようねと先日の投稿で言ったばかりなのですが、耐えられるかどうかは怪しいですね。
今日は見えているの、今いる世界への常識とされている物の見方、見え方について問いただして行きたい。
今回テーマにしたいのは影です。
その中でも日影について考えて行きたいと思います。
今回僕がこの事について考えるようになったきっかけは、普段の移動中に感じた感覚がきっかけです。
普段、バイクや自転車、車、バス、電車で移動していて、その中でもバイクでの移動が特に多いです。
バイク移動は風や気温、雨などを直に体感する事ができます。
そして、まだ夏の日差しが残る日中に移動中、高架下のトンネルを通った。
そこまで痛いほどの日差しを浴びていたが、そこから急激に解き放たれ、光が襲ってこなくなった。
それに伴い涼しさ、寒さを感じた。
先程までの痛い暑さは太陽が与えていた事は言うまでもない。
しかし、その寒さや、風の雰囲気に何かと似た雰囲気を感じた。
それは、夜の雰囲気だった。
寒く悲しく冷たい感じ。
だがそれを感じたのは完全なる日中。
変な違和感を感じて考えていると一つわかった。
いつも夜だと思って認識していた暗く悲しい世界は実は大きな日影の世界だったのだと。
夜だから寝なければならない。
夜は危ない。
そのような言葉達は大きく間違ってはいないが、今まで感じていたような恐怖感は感じる必要がないように感じた。
また、夜が来たから寝なければならないと言うのにも違和感を感じるようになった。
ただ、大きな日陰に入った事をきっかけにその時間を睡眠、休息につかわなければならないという常識も変だと思う。
眠い時に寝て起きたい時に起きる。
世界は、一日中起きていて、大きな日向にいるか、日陰にいるかの違いなだけである。
当たり前の事で「そんなのわかってるよ。」と言う方も多いだろうが、20歳のおバカな私はとてもこのような事でも楽しく、面白く感じたので、記録として残させていただきます。
大きくなったときに、この記事を読んでこの子は馬鹿な子だったんだなと振り返り、旧友と懐かしみたいと思います。
その瞬間に立ち会っていただきありがとうございました。
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