「協働のまちづくり」や「ムトスの精神」を次世代に引き継ぐ ――「わがまちの憲法」を振り返る地域づくりシンポジウムを開催 ――長野県飯田市
長野県飯田市で2024年7月28日、「わがまちの憲法(飯田市自治基本条例)」を振り返る地域づくりシンポジウムが開かれた。同条例は2006年9月に制定(2007年4月施行)。自治基本条例の理念である「協働のまちづくり」や「ムトスの精神」を次の世代に引き継いでいくことがねらいだ。参加者は条例制定の背景や過程を振り返るとともに条例の活かし方などを共に考えた。
三者共催で実施
シンポジウムは飯田市まちづくり委員会連絡会議、飯田市議会、飯田市の三者による共催。会場は同市内の「エス・バード」大ホール。日曜午前にもかかわらず、100人超の市民が参加した。
冒頭、主催者を代表して佐藤健市長が挨拶。「飯田市の20地区には住民のみなさんが作った基本構想・計画がある。そんなまちは全国にないだろう。その原点は自治基本条例だ。条例制定の『思い』を今日は聞きたい」と話した。
「議会がつくる」とタンカを切る
地域づくりシンポジウムは「~わがまちの憲法『飯田市自治基本条例』を振り返る座談会~『わたしたちのまちづくりにおいて大切にしてきたもの』」をテーマに開かれた。コーディネーターは元飯田市企画課長の平澤和人氏、パネリストは井坪隆(飯田市議会議員)、中島武津雄(元飯田市議会議員)、遠山昌和(南信州・飯田産業センター事務局長、条例策定時は飯田市議会事務局議事係長)、木下浩文(元飯田市企画部参事)の4氏。いずれも条例の策定に携わった議員や職員だ。
最初に平澤氏が自治基本条例制定当時の時代背景を説明した。1990年代後半からの地方分権改革、2000年4月の地方分権一括法の施行によって、国と地方は「上下・主従」から「対等・協力」の関係に移行。地方側には自治体の自立と運営基盤の強化が求められ、その根幹として自治体運営の基本的なルール(自治基本条例)が必要となったことを述べた。
次に条例制定のきっかけや経緯を振り返った。
北海道ニセコ町が2001年4月、全国初の自治基本条例を施行した。飯田市においても条例制定の機運が高まり、井坪氏によると、2004年の市議会の委員会で総務部長が「基本条例をつくりたい」と発言。それに対し、井坪氏は「即座に『議会がつくる』とタンカを切った。これは自治の条例。市民の代表である議会が関わらずしてどうするのかという強い思いがあった」と話した。
議会の附属機関「市民会議」を設置
市議会では、2002年度に「議会在り方研究会」を設置し、活動の中で行政のあり方や市民との関わりについて明確にしていく必要性を認識。2003年~2004年度には議会議案検討委員会を設置し、自治基本条例の必要性を確認した。そして、自治の担い手である市民・議会・行政が手を携えて条例制定を進める必要があるとの認識の下、議長に「市民会議」の設置を提言した。
井坪氏の思いを引き継いだ議員の一人が中島氏。市議会が2004年5月に設置した「わがまちの“憲法”を考える市民会議」から条例策定の経過を振り返った。
市民会議は公募委員8人、学識経験者4人、議員8人、市職員4人の計24人で構成。いわば議会における附属機関で「議長から(委員に)委嘱状を出した。全国で初めてだったのではないか」と中島氏。
8か月で全体会を14回、分科会を6回、運営委員会を15回開催し、同年12月、最終答申書を提出。最終答申を基に議会では「自治基本条例の基本的な考え」を集約、市長に対して検討を依頼した。その結果、翌2005年2月、法制担当職員が議会事務局に兼務発令されることになった。
議長見解を全会一致で了承
2005年4月に飯田市議会は改選を控えていた。そこで3月定例会で、「市民会議の活動と成果を尊重し、自治基本条例の制定に向けた取り組みを次の議会においても引き継いでいく」との議長見解を全会一致で了承する手続きを取った。
改選後の同年5月には、正副議長を含む10人で自治基本条例特別委員会を設置。起草委員会で原案を作成→特別委員会で検討→起草委員会で修正→特別委員会で確認→全議員に説明、というサイクルで進めていった。
2005年12月末には条文素案をまとめ、全議員検討会で決議した。市長に対して検討を依頼するとともに、議会だより臨時号(2006年2月1日付け)を全戸配布。条例素案の内容を分かりやすく説明した。
地区説明会は2005年10月~11月と、2006年2月~3月に2回実施。地区説明会や市長部局の検討結果も踏まえて市議会では条文素案を見直し、2006年6月に条文原案を作成。パブリックコメント(6月15日~7月10日)、自治基本条例シンポジウムの開催(大森彌・東京大学名誉教授による基調講演、市長や連合自治会長、条例特別委員長などによるシンポジウム)を経て、2006年第3回定例会最終日(9月21日)に議会議案として提出、全会一致で可決した。
大森彌氏の言葉
条例は2007年4月1日施行。前文では「まちづくりに進んで参加する『ムトス』の精神を、次の時代へ確実に引き継がなければなりません」と述べ、地域自治区とまちづくり委員会による「地域自治組織」を導入したのが特徴だ。中島氏は「自治基本条例を制定まで導くことは、振り返ると議員として大仕事だった」と述べた。
(*「ムトス」と、広辞苑の一番最後に出てくる「んとす」のことで、「…しようとする」いう行動への意志や意欲を表す言葉。飯田市は「ムトス」を合い言葉にまちづくりに取り組んでいる。)
議会事務局として条例づくりをサポートした遠山氏は、市民会議など前例のない取組みに「途方に暮れたこともあった」と振り返った。
地方自治法で、議会に付属機関を置くことは禁止されていないが、「置くことができる」という規定もされていない。その時支えになったのは大森名誉教授の言葉だった。「法令にダメと書いてなかったらやっていい。市民のために良いと思うならやればいい」。
この言葉に遠山氏は「腹に落ちた」という。「その考え方は自分の公務員生活でずっと生かされてきた」。そして条例が議決されたときは「感無量だった」と話した。
みんなで守り、育てていく条例
後半は条例の活かし方について議論。井坪氏は、市議会では日本生産性本部が作成した地方議会成熟度評価モデルの実装化に取り組み、独自にスローガンを設定したことを紹介。議会の運営ビジョンの策定を進めていることを述べるとともに、「今後も市民とのあらゆる対話を通じて、議員個人の力量と議会の審議の質を高め政策立案型の議会への転換を図っていく」「これからの地域経営は市民・行政・議会の三者による総力戦で立ち向かっていかなければならない」などと語った。
中島氏は、条例の提案理由説明での「文字通り自治の最高規範として、みんなで守り、育てていくことを期待して、ここに条例案を提案する」という発言を紹介。原点を再確認する重要性を指摘した。
最後に、コーディネーターの平澤氏が、「市民参加」「協働」「ムトスの精神」という3つのキーワードを指摘。「この3点を頭の片隅に置いてまちづくり、市政運営に当たってもらえれば」と話した。
シンポジウムに続いて、社会福法人千代しゃくなげの会の関口俊博理事長と川路まちづくり委員会の中島良彦会長が、地域における課題解決に取り組んだ事例を発表、共有化を図った。
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飯田市では今回のシンポジウムを皮切りに、自治基本条例の学び直し、今日的課題の解決に向けた知恵の出し合いの場を継続して設けていく予定だ。
(文・写真/上席研究員・千葉茂明)
〇日本生産性本部・地方議会改革プロジェクト
https://www.jpc-net.jp/consulting/mc/pi/local-government/parliament.html