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日々を綴る(14)

空いてしまいましたが、今日も黙々と書いてみます。毎日書きたいと思っているものの、習慣を変えるのは簡単ではないみたいです。毎日書くという新しい習慣を身につけることは難しくないのかもしれないですが、一方ですでに体に染みついてしまっている習慣を変えるのはけっこう難しいなあと感じています。変えるというか、「いつもこうしているのをやめる」というか。やめるのはいつだってできる、みたいな言葉がありますが、もしかするとそんなことはないのかもしれません。

わたしにはミニマリスト的な思考やライフスタイルに偏向していた時期があって、今はその要素をほどほどに、バランスよく取り入れているつもりなのですが、その中で「ひとつを手放してからひとつを取り入れる」という考え方があって、まあ、定住3年目の今はいろんなモノが増える一方で実践できているかといわれると怪しいのですが、とにかく、習慣についてもこれが当てはまるなあと、今ちょっと思いました。時間は無限ではないので、何かを新しく取り入れるなら何かを手放さないと、いっぱいいっぱいになってしまう。さて、わたしはこの書くという習慣を身につける代わりに、何を手放そうか。そんなことを考えています。

話は変わって、今日はまだ週の真ん中ですが、今週はどうにもうまくいかないなあということが続いてちょっと落ち込み気味な感じです。何か大きな問題が起こったわけではありません。いつだって、こういうのはじわじわとやってくるんですよね。自分の気持ちに鈍感になるのは簡単です。突然ぷっつりと切れてしまわないように、見て見ぬふりをしないように気を付けなければと思っています。
そういうふうにちょっと沈みそうになったときに引き上げてくれるのは、ひとつは夫の存在だったりするのですが、それ以外にも、ここの景色や空気の影響がやっぱり大きいように感じています。
しんしんと雪が降り続ける景色とか、ふかふかに積もった雪の中を歩くとか、そのあとの突き抜けるような快晴っぷりとか、製糖工場から流れてくる香ばしいにおいとか(わたしはヘーゼルナッツクリームのようなにおいだと思っている)、山の美しさとか、空の広さと青さとか、そんなものたちに触れることで間違いなく元気になるのです。いきなりグンッと力が漲るわけではないですが、こちらもまた、じわじわと。でも、確実に。
これは別に地方だとか都会だとかは関係なくて、わたしにとって今はそういうものが力になっているだけということだと思います。

どういうことなのか、うまく伝わっていないかもしれません。そもそも伝える気があまりないのかもしれないです。出てくる言葉を書いているだけ。そういえばちょうど昨日オンラインのトークイベントを聞いていたのですが、そんな話が出ていました。「Twitterはつい”意味のあること”を書こうとしてしまう。本当はもっと意味のないことを書いていいのに」と。わかる、と思いました。というかこれ、いろんなものを観察している夫がいつも言っていることでした。だからわたしも、うまくまとめようとか考えずに書きたいなと思っています。うまくまとめたものが求められるんですよね、仕事していると、特に。それが身についてしまった結果、自分の言葉を見失ってしまうのかもしれません。曖昧なままでも、揺れ動いてもいいから、自分の言葉を失いたくないなあと思います。

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