ヒラノマリエ

オホーツク海を眺めながら暮らしています

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マガジン

  • 日々を綴る

    「書くことを続ける」ために、特にテーマは決めず毎日その瞬間に書きたいと思ったことを書いてみています。2023年1月スタート。どれだけ続くかな。

  • わたしの好きな斜里

    Twitterで「#わたしの好きな斜里」というハッシュタグを使い、北海道斜里町の好きなところをつぶやいています。 ここでは、そのタグと一緒に載せた写真をひとつずつ振り返りながら、ちょっとした文章を添えてみています。

最近の記事

日々を綴る(49)9月13日

(画像は、朝の通勤時に最近よく見るエゾリス) ここ1週間ほど、店が妙に忙しいという日が続いて(そうでもない日や時間帯もあったけれど)、パタパタとしながらも、どこかどっしりした気持ちもあって、こういうとき昔の自分ってドタバタと忙しない雰囲気を醸し出してしまっていたなあ、などと思い出している。 ひとつひとつの所作、対話は落ち着いて丁寧に。この年齢になって、やっと自然にできるようになってきている気がしていて、じんわりと嬉しい。 この日は月に一度、営業時間を延長する日。目の前の広

    • 日々を綴る(48)9月8日

      昨日のことをいくつか。 半日だけ仕事をする日。 「それだけ働いていても、嫌そうな顔しないよね」と少し前に夫に言われたことを思い出す。ひとつひとつの小さなタスクに対して面倒だな、嫌だなと思うことはあっても、はたらくことそのものに対する嫌な気持ちはそんなにない。ああ本当に嫌だな、と思ったらとっくにやめている。これまでだってそうだった。 夕方、海を見に行こうと海岸へ向かうも、釣りの季節を迎えていることを失念していた。駐車場に10台ほど車が停まっているのを見て、今年もこの季節が

      • 日々を綴る(47)9月7日

        これまでより1時間以上早く眠りにつき、1時間ほど早く起きる1週間だった。 「朝早くから活動するひとでありたい」とずっと思っていたのをやっと行動に移せていることが、とても嬉しい。 油断するとあっという間に真夜中になってしまうので夕方過ぎくらいから少しだけそわそわしてしまうけれど、早く起きると決めてから、だらだらとSNSを眺める時間が少し減った。というか、その前からじわじわと減っていた気がしている。とてもよいことだと思うし、得体のしれないもやもや感も減った。 あれこれと芋づる

        • 日々を綴る(46)8月22日

          休日のこの日、初めて、頭のマッサージへ行った。 仕事柄どうしてもPCやスマホを触る時間が長く慢性的な首のだるさを感じており、首をぜひほぐしてほしいと思い、オープンしてからずっと気になっていた店を先月から予約していたのだった。 丁寧にカウンセリングをしてくれて、1時間の心地よい時間。施術後に言われたのは「首も張ってはいるんですが、それより、ちょっと…頭の硬さがすごいです」というものだった。 休まずにがーっと物事に取り組んでしまいがちでは?というところも指摘される。とにかく意識

        日々を綴る(49)9月13日

        マガジン

        • 日々を綴る
          49本
        • わたしの好きな斜里
          10本

        記事

          「今日はバイト終わったら土器作ってきます」

          勤め先が1ヶ月前に小売店をオープンさせた。わたしは今のところ店長的なポジションで店の運営を担当し、店頭でお客さんを迎え入れている。コーヒーも淹れている。 オープンに伴い、地元の高校生をアルバイトとして数名採用し(駅前で求人のビラを配るという体験をした)、この1ヶ月、夏休み中の彼らと日々一緒に仕事をしてきた。 わたし自身も高校2~3年の頃はアルバイト漬けの日々を送っていた。当時お世話になった周囲の大人たちのことを思い出すと、今のわたしと同じくらいの年齢であっただろう上司もい

          「今日はバイト終わったら土器作ってきます」

          団地暮らしと畑

          水耕栽培のバジル、すくすくと成長中 忙しさゆえ今年は完全にほったらかしにしてしまっている畑 いつも野菜をおすそわけしてくれる向かいの棟に住むおばあちゃんが少し前に草取りをしてくれていて、ありがたいやら申し訳ないやら。 1週間前くらいだったか。夫婦でどこに住んでいるのかと尋ねられ団地に住んでいると答えたら、「団地で満足してる?」と言われた。建物をつくることを生業としているそのかたらしい問いかけだが、センスのない言葉だなと思わずにいられない。 子どもの頃からずっと団地暮ら

          団地暮らしと畑

          日々を綴る(45)6月18~20日

          6月18日 言葉を尽くして尽くして尽くしまくっているつもりだけれど、まだまだ足りないところだらけだなと思う。かと言ってなんでもやみくもに伝えればよいというわけでもないので、気を付けること。 焦りも心配もほんの少しの楽しみな気持ちもごちゃごちゃにかき混ぜられた状態、でも、心地よい空間で仕事の話ができて、ほっとする夕方。 6月19日 まだまだ多感なお年頃ゆえ、人のことをまったく気にしないという境地へはいけていないけれど、人のことを気にしすぎてはどこへもいけないということも、実感

          日々を綴る(45)6月18~20日

          日々を綴る(44)6月14~17日

          6月14日 船に乗った。もっとしっかり解説を聞いて理解を深めながら海の様子を見るのがよかったのだろうけど、「なんとなく肌で感じてみる」という受け止め方をしたくて、あまりよく話を聞かないまま船の上で過ごした。 映像や写真でしか見たことのなかった生きものが目の前の海にいるという事実に、静かに感動する。一方で、過剰に近付いて執拗に追い回しているわけではないものの、数艘の船に取り囲まれているようにも見えて、少し複雑な思いも抱く。 それでもゆったり気ままに泳ぐ彼らはとても心地よさそうで

          日々を綴る(44)6月14~17日

          日々を綴る(43)6月12〜13日

          6月12日 仕事後に海岸へ行ったら、学生の姿があった。波打ち際のあたりを行ったり来たりしながら何だか楽しそうな様子の高校生がふたり。わたしは生まれてから海のない街で18年間を過ごしたので放課後に制服のまま海岸へ行くなんて経験をしたことがない。どんな会話をしているんだろうなあ。町ですれ違う見知らぬ人へ声を掛けることに対してはずいぶん抵抗がなくなったけれど、若者に対しては気を遣ってしまう。 気付いたらまわりにはいろんな花が咲いている。原生花園を歩きたい。 6月13日 雨。午後に

          日々を綴る(43)6月12〜13日

          日々を綴る(42)6月10~11日

          6月10日 雨の日。空気がぬるい。考えて少しずつ進んでまた考えて、を今日も1日繰り返して、気付いたらあっという間に夜だった。 誰もいなくなった職場から出ると、時間のわりに空がまだ明るくて好きな青さで嬉しくなる。雲のかかり方と月も美しい。こういう瞬間に感動できる自分でいられることも、嬉しい。 6月11日 少し密度の濃い話をした。言葉や文章と実際に会ったときの温度感が違う、というようなことを言われて納得する。どちらが本当ということはたぶんなくて、どちらも本当の自分だと思っている

          日々を綴る(42)6月10~11日

          日々を綴る(41)6月6~9日

          6月6日 数年前から変わり始めていたことが最近は目に見えるようになってきていて、周囲の大人たちの反応や発する言葉も少し変化している。思わぬ提案を受けて、そういう道もあるのかと驚いた。それは自分の中に存在しなかったような単語でつい背中がむず痒くなってしまうけれど、遠い昔の子ども頃の自信のなさが根底にあるせいか、なんであれ評価されることは本当にありがたく、さらに期待に応えたいなどと、つい思ってしまう。40代に向けて、わたしはどうなっていくのだろう。 6月7日 大人の社会科見学の

          日々を綴る(41)6月6~9日

          日々を綴る(40)6月4~5日

          6月4日 久しぶりにいくつかの場所へ顔を出してまわった。仕事というフィルターを通して話すシチュエーションが圧倒的に多いから、仕事というフィルターを通して見られることが圧倒的に多い。そこにいるのは等身大の自分ではないかもしれないけれど、自分の一面であることは間違いなくて、仕事としてやっていることであっても褒められれば嬉しいし、喜んでもらえたらこちらも嬉しくなる。つくづく、何事もコミュニケーションに尽きると感じる。足を運んで話すことで得られるもの。適度な距離感。気遣いと尊重の姿勢

          日々を綴る(40)6月4~5日

          日々を綴る(39)6月3日

          品質を適切に管理しながらゴールに導くこと。方向、管理、指示、指揮。 「何かに特化したこと」をしたことがなく、特化して何かを学んできた経験もないし、誰かに従事して現場で経験を積んできた、というようなこともないので、苦手意識のある物事が多い。 それらを避けて違う道に進むことも不可能ではないし、無理にやろうとする必要もないと思うけれど、なんとなく、見よう見まねでもいいからちょっとやってみようかな、という気持ちが、いつもほんの少しだけ勝る。中途半端だし、クオリティも高くないけれど。

          日々を綴る(39)6月3日

          日々を綴る(38)6月2日

          イベントの広報物を持って、ふたつの場所を訪れる。 3ヶ月ぶりに訪れた美術館の周りはすっかり緑が豊かになって花もたくさん咲いていた。風が強くて、ざわざわと賑やかだ。 一度見ている作品であっても、季節や空間への光の入り方、展示されている場所が変わったりするだけで受け取る印象が違って面白い。自分自身の状態によっても違うのだろう。次にまた作品を迎え入れるとしたらどれがいいかな、などと考えながら、しばしぼんやり過ごした。 もうひとつの場所では、歩くことについての話を少しだけ。必ずしも

          日々を綴る(38)6月2日

          日々を綴る(37)5月31日~6月1日

          5月31日 「聞く」と「話す」が続く1日。対話を積み重ねた上にある信頼関係は自分の糧にも盾にもなることをじわじわと感じている。 写真とともにひと月を振り返っているとあっという間に夜の時間が過ぎてしまった。自分自身が遠出をしたことと、旅先の選び方や旅の仕方について、という話題が出たこともあり、そんなことをつらつらと書き連ねた。 ひとつの場所に留まるよりもあちらこちらと移動する方が性に合っているのだろうな、と思っていた自分がもう4年も定着しているなんて、未だにちょっと信じられない

          日々を綴る(37)5月31日~6月1日

          日々を綴る(36)5月29~30日

          5月29日 名付けることの重みと難しさと嬉しさが頭の中を駆けまわる。まだまだ実感はないけれど、とてもよい名前であることは間違いない。このまま滞りなく誕生できるように願うばかり。 自分の名前には大した意味はないと言われた曖昧な記憶。今となっては悲しさは微塵も感じない。その代わりに、名前を呼ばれるのは嬉しいし、自分ももっともっと人のことを名前で呼びたいなと思った。 5月30日 対象が何であれ、気付いたら中立的な場所に立ってしまっている。好きか嫌いかという個の感性とはまた別の軸。

          日々を綴る(36)5月29~30日