日々を綴る(6)
今日から3連休。
そういえば、と思い出して過去の写真フォルダを遡ってみると、ちょうど4年前の今日は、わたしが初めて斜里町を訪れた日でした。
2019年1月7~9日、2泊3日の滞在。斜里町が目的だったというわけではなく、合計11日間でオホーツクエリアをめぐる旅をしていました。その前の月には釧路・根室エリアにも10日間ほど滞在していて、とにかくこの時期は「道産子なのに道東を知らなすぎる!」ということで夫とふたり、少しだけ時間を費やして遊んで過ごしたのでした。
斜里町はその中で立ち寄ったひとつの町、に過ぎなかったのです。そのときは。
4年前の今日、1月7日。
網走からJRに乗り、知床斜里駅に到着。駅前のホテルに荷物を置いて、現在はなくなってしまったお店でごはんを食べました。わたしは鹿肉ジンギスカン、夫は魚(たぶんサクラマス)の定食。それから町の中を散歩しました。どのルートで歩いたかはもうあまりきちんと覚えていないのですが、道の駅しゃりで販売されていた雑誌「SHIRETOKO! SUSTAINABLE」に感心したり(石川直樹さんの写真と本が好きだった)、立派なゆめホール知床の外観に驚いたり(何の建物かわからず、すれ違ったおばあちゃんに「この建物って何ですか?」と聞いたりした)、あと、この旅の中で住めそうな町を見つけたいとも思っていたので、移住関連のパンフレットとかないかな?と役場にもちらりと入ってみたりして、さらにはその道沿いに歩いて行ったところにある産業会館へも足を踏み入れ、玄関先にあったパンフレットの棚から面白そうなものをいくつかいただいたりしていたのでした。今その産業会館へ毎日通勤しているのだから本当に人生って不思議です。あとは文光町通のところを歩いたり、おなじみの青い跨線橋から町並みを眺めたりもしました。夜もぶらぶら歩きました。
この日はよく晴れていてとても寒かったということは明確に覚えているのですが、橋から斜里岳や海別岳を見た記憶がないので、もしかすると山の方は雲がかかっていたのかもしれません。
今日も同じで、よく晴れていたけれど山は隠れてしまっていました。わたしは今日、網走と小清水にいたのですが、帰路でブルーとピンクが混ざり合った空に向かって車を走らせるのがとても心地よかったです。景色を眺めているだけで楽しいんです、このエリアって。移りゆく季節を体感しながら、二度と同じ瞬間は訪れない景色を眺めては自分の中に刻み、記録として写真に残す。絵にして残せたらいいなあ、なんて妄想をしてみたりもしますが、今のところ写真と言葉を並べることが楽しいと感じているので、こういうことをただひたすら続けてみているところです。もしかするといつか飽きる日がくるのかもしれませんが、そのときはそのときです。
「立ち寄ったひとつの町」に過ぎなかったこの町が「今のわたしの日常」になるまでには数えきれないほどいろんな小さな要素が積み重なっていて、そのひとつひとつを記憶しているつもりだったのですが、どうやら4年も経つと少しずつこぼれ落ちていくみたいです。今こうやって振り返って書いていて、覚えていないことが意外と多いと気付きました。でも、そのひとつひとつの要素が消滅してしまうわけではないはず。きっと自分の中に吸収されていて、今の自分をつくる成分のひとつになっているのではないでしょうか。血肉となる、みたいな感じです。違うか。
翌1月8日と9日の体験も、ひとつひとつは小さなことながらも後のわたしに大きな意味をもたらすものとなりました。また明日と明後日に書けたらいいなと思っています。