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歩いた記憶と歩く理由
歩くのって気持ちいいな、と思うようになったのは、いつからだろう。
19歳で免許を取って割とすぐに車を買って、数年乗って、手放した。
それからしばらくは車がなくても不便のない便利な町で暮らして、思い返せばこの頃はよく歩いていたかもしれないけれど、特段それが楽しいとは感じていなかった。
さらに数年後に便利な町を離れて、「車がないとけっこう不便だよね」という土地を転々とし始めたくらいから、歩くことへの意識が少しずつ変わっていったような気がする。数か月後にはどこで暮らしているかわからない、みたいな生活を続けていたから大きな所有物を増やしたくなかったというのもあるし、そもそも車を買う余裕なんてなかったというのも事実だ。
道東・オホーツクエリアをじっくり旅行してまわった2018年12月と2019年1月もまだ車は持っていないままで、合間合間でレンタカーを利用していた。
釧路で借りて、釧路湿原、厚岸や浜中へ。
根室で借りて、納沙布岬や春国岱へ。
中標津で借りて、野付半島へ。
網走で借りて、天都山や小清水へ。
紋別で借りて、西興部や興部へ。
予定に組み込んでいた中で、たまたま斜里でだけ、レンタカーを一切使わなかった。というより、日程や予算などの希望に合うものがなく、使うことができなかった。
それで結局斜里で過ごした3泊4日はバスと自分の足だけを頼りにしたのだった。真冬なので自転車という選択肢もない。
市街地を歩いて、役場や産業会館の出入口付近にある無料の冊子類を手に取ってみたり、ゆめホールに「おお~」となったり、しれとこくらぶでお茶をしたり、シャンボールに寄ったり、青い跨線橋を渡ったり、夜に散歩してみたり、博物館の前の通りがいい感じだなあと思ったり。
ウトロまでのバスの運転の荒さにひやひやしたり(笑いごとではなかった)、遺産センターは休館日で、自然センターまで行くバスもなくて海を眺めながら歩いたり、フレぺの滝遊歩道からの知床連山の景色に感動したり、またバスターミナルまで歩いたり。
偶然にしてはよくできているな、と、改めて思う。「斜里とウトロで歩いたのが楽しかったから」というだけでこの町を選んだつもりはないけれど、その記憶に影響を受けているのは間違いない。どう考えたって、走る車の中から見た景色より、歩いて見た景色の方が、ずっと印象に残っているから。
あのとき歩きながら見ていた景色を、ここで暮らしながら今日もまた見ている。そのことが未だに不思議で面白くて仕方なくて、車のある暮らしをしているとどうしても簡単に車に乗ってしまいがちだけど、そうやって些細なことを面白がる気持ちを忘れずにいたくて、わたしは今日もまた歩いて、明日も歩きたいと思うのかもしれない。
斜里に惹かれた理由をいつもあまりうまく答えられなくて、これだ!というものはやっぱりわからないままだけど、日常の中で歩いて見つけるこういう景色がなんだかいとおしい、という気持ちは、わたしの心の中に確かにある。
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初めて斜里に来たときにも渡った跨線橋からの景色