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日々を綴る(12)

昨夜も「日々を綴る」を書いていたのですが、「このままでは夜にぼーっとしたまま書くサイクルから抜け出せない…」と思い、途中で切り上げて残りは翌朝に書くことにしました。
今日は曇りの朝。少しだけ雪がちらついています。

毎月第2金曜日に、道の駅しゃりの前で「ふらっとナイト」というイベントが開催されています。昨日で第295回目、とのこと。1997年11月に始まったそうです。丸25年経過しているということですね。不測の事態もきっとたくさんあったであろう中で「途切れることなく続けている」ということは決して簡単なことではなく、本当に素晴らしいことだなと感じます。

わたしも昨夜、ふらっと立ち寄ってきました。これまでも、毎月必ずというわけではないですが割と積極的にふらっと立ち寄っています。
以前は車道を通行止めにし、歩行者天国にしていたこともあるそうです。現在は道の駅前の広場でのみで開催されており、かつてのような、住民であふれ返っている…といった光景を見ることはなくなってしまいました。「すっかり寂しい町になってしまった」とか「昔はもっと活気があって…」とか、そういう、日本全国あちこちで発生しているであろう状況なんだと思います。確かに昔のその光景を知る人にとっては、大きく様変わりしてしまっているのでしょう。

わたしは斜里の昔のことは知らないですが、自分が子どもの頃に見ていたであろう地元の風景とか、まちの様子……あんまり多くのことは覚えていないにしても、「駅前のこれがなくなってしまうなんて」と驚いたり、「いろんなものがずいぶん変わって寂しい感じになってしまったなあ」とか、思うことはいろいろあります。でもわたしは地元を離れた人間で、それらを残すために尽力したわけでもないし、尽力とは言わなくとも足しげく通って支え続けたわけでもないし、文句は言えまい、とも思うのです。

つまり何が言いたいのかというと、「昔はよかった」という言葉を、あまり使いすぎないようにしたいのです。
昔のあれはよかったよねとか、もちろんわたしも思います。歴史から、記録から、たくさん学びを得てきました。これからも学びを得たいです。「学び」という行為には至らずとも、昔を知ることで新しい感情に出会うこともあります。それはとても楽しいことだと感じています。
最近のこれはどうなんだろう、とも思います。抗いたくなる瞬間もたくさんあります。でも、どうしたって過去に生きることはできなくて、過去に戻ることもできなくて、今ある日々を生きていくしかないのだと思います。

なかなか落としどころが見つからないのですが、今朝はそんなことをぼんやりと考えていました。「よく考えているよね」と言われることがあるのですが、実は大して考えていません。日々を綴る、の最初の方に書いたかもしれませんが、わたしは「思考する行為」に苦手意識があります。かなりフィーリングで、行き当たりばったりで生きてきました。たぶん昔からずっとそうです。きっとあなたの方がよっぽどいろんなことを考えていますよ、といつも思います。

楽しそうだったけど、子どものみ対象のゲームでした。残念…
ふらっとナイトの定番カレーパン。いつもおいしい。100円!


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