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短い夏と原生花園
7月。ようやく1日中半袖のシャツを着て過ごすようになった。いつまでもうじうじ寒くて嫌だなあと思っていたけれど、本当は夏は苦手だ。緑の主張が強くて、空は真っ青で、なんだか世界がきらきらしすぎていて、わたしにはあまりに眩しすぎる。
特に快晴の日が続くと憂鬱で仕方ない。世界がまるで「家で黙っていないで外に出て何かをしなさい」と言っているようで、何か行動しなくては、とつい思ってしまう。そうやって行動したから知りえたことも出会ったものもこれまできっとたくさんあったけれど、今はあまりそういうものを求めていないのかもしれない。ただ静かに生きているというのは、情報が飛び交うこの時代には、ちょっと難しいような気がしている。
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大好きな以久科原生花園の、昔の花盛りの時期の写真を少しだけ見せてもらった。
深く濃ゆい緑たちと、今よりずっと多いエゾスカシユリと、向こうに見えるウナベツ岳のやさしい稜線。少し雲の多い日のようだ。ピンク色のカーディガンを着てあちこち動き回っている様子の少女。微笑むお母さんとおばあちゃん。
この時代には今のわたしには知りえない苦労や苦悩があったことだろうと思う。大人になった少女は「家が自営業だったからまとまった休みがなくて家族で遠くに出かけるということがほとんどなかった。こうやって以久科に行ったり、行ってもせいぜい網走くらいまでで…」と口にしていたけれど、少なくともその写真の中に流れている空気はとても穏やかで、幸せそうだった。
晴れていなくても、どこへ行かずとも、何か特別なことをせずとも。幸せって、何かを成し遂げることじゃなく、日々を粛々と過ごすこと。…だと、思いたいだけかもしれない。
2021/7/7 12:48
曇り空とまばらに咲くエゾスカシユリが美しい夏の以久科原生花園にて