「虫と歌」(市川春子)、生と死の受け入れかた
少しずつ、目が悪くなっている気がする。50m先の電光掲示板もおぼつかない。メガネを買い替えたほうがいいかもしれない。
市川春子の「虫と歌」のエピソードを思い出していた。あらすじを紹介しよう。
晃(こう)と暮らす双子のきょうだい。晃は昆虫の模型づくりを仕事にしているらしい。きょうだいはそれを手伝いながら、高校生活を送っている。
あるとき、翅のついた男がベランダに飛来し、襲いかかる。晃がサナギとして深海に沈めていたカミキリムシだった。彼らは傷ついた彼を「シロウ」と名付け、一緒に生活をはじめる。
そのうち兄のウタが、視力の低下に気づいてメガネを使い始める。肉体的な衰えを知らせる最初のできごとだ。
晃がメガネを買い替えるよう勧めると、ウタは「いらない」と言う。
自分の寿命が短いことをとっくに気づいていて、それを淡々と受け入れるウタ。彼だって「死にたくなんかない」。しかしシロウが最期を迎えたときのこと、晃が自分を愛してくれていたことを思い、しずかに受け入れていく。
* * *
こんな感じ方があるのか、と思った。
言葉にできなかったけど、ただ、この物語が好きになった。市川春子氏の「宝石の国」はいまも連載中だが、いまだにこのデビュー作がいちばん好きだ。
当時、あの感覚を体験できるとは思っていなかったが、自分の視力の衰えがすなわち肉体の衰えだと気づいたときに、ウタのエピソードを追体験していると確信した。違和感はなかった。
恐れるものではない、と分かっていたが、ここまで静かなものだとは思わなかった。
生あるものの当然の宿命とは知っていたが、ここまで確かなものだとは思っていなかった。
おそらく、自分の最期まではまだまだ時間がかかるだろう。それまでどのような体験に出遭い、どのように感じるのか分からないが、きっと私は、いままでに読んできた物語や考え方に「再会」しつづけるのだろうと思っている。そのための読書なのだ、とも。
* * *
しかし誰もが同じように「その瞬間」を受け入れられるわけではない。
それは晃もよく知っていて、ラストでこうつぶやく。
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