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ターナーと「鍵穴」

ウィリアム・ターナーという19世紀の画家がいます。

はじめて彼の作品と気づいたのは、10年ほど前です。陽光と水分をふくんで見通しを失ったような空気、そして水上に浮かぶ帆船。いったいどの作品を見たのかおぼえていませんが、夕焼け色とも赤土色ともみえる濃密な空気感は、折にふれて思い出されます。

この文章を書くにあたり、彼の作風をあらためて調べてみると、たとえばWikipediaの([要出典]の)説明には、このようにあります。当然ですが、やっぱりそういうふうに描いていたようです。

イタリア旅行後の作品は画面における大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ、そのためにしばしば描かれている事物の形態はあいまいになりほとんど抽象に近づいている作品もある。

人物・経歴(Wikipedia「ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー」

好んで使用した色は黄色である。現存している彼の絵具箱では色の大半が黄色系統の色で占められている。逆に嫌いな色は緑色で、緑を極力使わないよう苦心した。ターナーは知人の1人に対して「木を描かずに済めばありがたい」と語っている。また別の知人からヤシの木を黄色く描いているところを注意された時には、激しく動揺している。

彩色の傾向(同上)

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彼の作品の「大気と光」の混ざり方は、じつはあまり好きではない気もします。湿度も温度も高そうな空気を見ていると息苦しい感じになるのと、夕方の光景は小さい頃から私をなんとなく不安にさせるものだったからでしょう(ちなみに防災無線で流れる「七つの子」も、夕方の記憶とセットになっています)。

しかし彼はどうして、そんな作風にしようと思ったのでしょう。気質?家族歴?天才性?そのどこからでも説明した文章はあるはず。彼はイギリス最高の画家とよばれ、数多くの研究書や評伝が残されているのですから、おそらく。

その作風を、彼の内面の物語から理解するのも面白いですが、私が気になるのは「何が彼をそうさせたのか」という見方です。「何が彼をそのように形作ったのか」と言ったほうが近いかもしれません。

うまく伝わるか自信がないので、別のたとえで説明してみます。
新海誠監督の映画「君の名は。」(2016)では、いわゆる土建屋の息子がヒロインの友人として登場します。この、オカルト好きで気のいい彼も、大人になったら、父親のようになるという未来があったのでしょうか。もし父親のように「言うてもカネとコネがなあと、わしらみんな生きていけんやろが」と言い放ったとしたら、どうしてそうなってしまうのだと思いますか。

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人が変化――ここでは「変質」と言った方がいいかもしれません――するのは、そういうことなのだと、最近やっと思うようになりました。

人を動かすのは人間関係であり、人間関係はできごとや社会に動かされ、できごとや社会はその時代や歴史の影響を免れることはできません。その中で、人は自発的に考えもしますが、ある意味では、時代や歴史に「考えさせられて」もいるのです。

たしかにターナーは、後に流行する印象派のモネが影響を受けた、その一人でした。それだけの影響力があった人物ではありますが、ターナー自身もまた何かに影響を受けているのは確かです。

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ターナーに「サルタッシュとウォーターフェリー、コーンウォール」(1811)という作品があるのを知りました。先ほどnoteの記事のサムネイルで見かけたのですが、それが今回の私の文章の切り口になりました。

この画像をちらりと流し見したとき、その絵の画面右側から、大きな親指が現れているように見えた気がしました――もちろん見間違いです。実際は、彼がイングランド西部に旅行したさい、渡し船を営むコーンウォールの海岸を描いたもので、泥だらけの海岸には船や馬、人々が集まっているとされます。

それはなんだか、こないだ机の上の分厚い参考書が、昔何度も眺めていた平凡社の「世界大百科事典」の、金箔を貼った背に見えたような気がしたのと同じ印象でした。感情の揺れが残った遠い記憶の一部に触れたようで、まるで自分が動揺したかのような気がしたのです。

そして次の瞬間、こういう時に何かが「触発」される気がするのだと思いました。
目の前のものがそのままの姿で見えなかったという、そのできごとが違和感になり、開いた溝を言葉で埋めようとさせるのかもしれません。

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たとえば、千夜千冊1221夜「ターナー」では、当時流行していた海洋画・海景画から水のイメージを画風に取り入れたとき、彼は「鍵穴」を見つけた、と言い表しています。彼はその「鍵穴」に、自分がそれまで身に付けてきた技法を「鍵」のようにありったけ挿し込んでいった、と。

また上の記事では、ターナーが目指していたのは、その半世紀前にエドマンド・バークがかかげた「美」や「崇高」という観念だった、とも言っています。

あらためてその部分を読んで、「私たちが何によって形作られたか」という問いや「いま感じたものは何だったのか」という違和感は、もしかしたら「鍵」を挿し込んだあとに初めて答えが見つかることだってあるのかもしれない、と思ったのでした。

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