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パンケーキたべたい
わたしにはごはんを残すという概念がない。
「ひとつの米粒には7人の神様がいてね」(で合ってる?)
なんてことを誰かに教えられるずっとずっと前の小さな頃から、あたりまえのようにひとつぶ残らず食べていた。なんだったら、神様なんぞひとりも宿ってなくたって食べるのが当然でしょ、なんじゃその説教くさいおしえは。くらいに思っていた。かわいくない子どもだなぁ。
まじめとかいい子ちゃんアピールをしたいわけでない。ただただ、シンプルに!生まれつき!食欲がすさまじかったのだ。おそらく前世で飢え死にでもしたのだろうと思う(しかも一度ではなく、何度か)。おいしいものを食べることが大好きで大好きでたまらない。
そんなわけなので、ごはんを残すという行為はもっとも罪深く恥ずべき行為くらいに思っていたし、今もまだどこかでそう思ってる節がある。どうしても残さないとならなくなったときは、本当に作ってくれた人や食材に対し申し訳ないきもちでいっぱいになる。だからおなかいっぱいでも残すことができなさすぎて、ついつい食べすぎてしまい、太りやすい傾向にある。
でもそれはあくまでも自分に対してのみ。基本的に人様に対してどうこう思うことはない。けれど、残されたその食品に対してはひとしきり想いを巡らせてしまう。人によっては不快になる表現かもしれないのでここから先は慎重に読んでいただきたいが、わたしは昔から食べものを擬人化して考えるくせがある。
大好物のパンケーキが運ばれてきたときなんかは頭の中で結婚式の入場のテーマが鳴り響くし、写真を撮る際はグラビアカメラマン顔負けのテンションで「ああ〜いいね〜かわいいよ〜この角度もいいね〜」と、時には実際に声に出してしまうくらい、この子のいちばん輝かしいすがたを記録するのだ!という使命に燃えている。SNSなどに載せるときの文章もねるねるねるねばりにぐるぐるまぜまぜと、練りに練る。その子のおいしさや華やかさを120%伝えたい。そう心底から願っている。承認欲求でテキトーに載せてるんでしょ?なんて言ってるやつらにはきっと一生わかるまい。わかりたくもないだろうけど。笑
ごくたまにスマホカメラのワークショップ講師をやらせていただくことがあるのだが、おいしそうに撮るためにいちばん心得てるのは被写体である人やものの大ファン、推しになって愛を送ることですかね、とお伝えしたところ、
「だからせんちゃんの写真はどれもおいしそうに見えるんだねぇ!」
と言っていただいて、たぶんそうかも!と答えた。技術も知識もさほどないわたしに自然とそういった依頼がきたのは、もしかすると食べ物への異常なまでの愛ゆえだったのかも、と思うとちょっぴり笑えるけど嬉しい。好きが放つパワーってやっぱりすごいのかもしれない。
なんだか話がズレた。ズレたというより初めからこの話をこういうオチで書きたい等のゴールがない状態で書き始めたので、戻るところが見当たらない。ちょっと読み直してみる。、、、、、、(20秒後)読み直した。そうだ、擬人化の話をしてたんだった。話を戻そう。
食べ終わる頃には、長い長い小説が残り数ページにさしかかったことに気付いたときのなんとも言えないさみしさや名残惜しさに駆られる。または、大好きな人との永遠のお別れ。ほんとうに耐えられない。
日によっては、さいごのひとくちを前に絶望と悲しみで情緒がおかしくなり涙がこぼれおちそうな日もある。自分で食べたくせに。さっきまであんなにおいしそうにここに存在してたのに、なんでもうあとひと口しかないの!?😭と泣きたくなる。ちょっと異常かもしれない。
食べ終わるのがつらい。お別れがつらい。つらすぎる。でも、食べる。集中して、味わいながら。
もちろん、食べ物をナチュラルに擬人化してる人などはめったにいないため、人と食事をするときはなるべく擬人化のことは考えないようにしている。それでもたまに油断すると漏れ出てしまうときがあったり、この人だったらもしかしたら引かないでくれるかも?と淡い期待を勝手に抱き、小出しにしてみるときもある。
が、大抵はまったく理解されずに引かれ、なんだコイツ?という顔をされる。ごく稀に妙に感心されたり、おもしろがってくれる人もいて、そんなときはその懐の大きさに感謝し、一気にこちら側の心の距離が縮まったりする。
一瞬また話がズレるが、自分にとって理解とは、理解されにくいだろうなぁと思っていたことを、結果に関係なく「理解しようとしてくれたり、理解はできなくても温かいまなざしで包もうとしてくれる」ことがうれしいのだと思う。自分も誰かを理解したいときは今ではそう心がけている。
ああ、また話が逸れてしまった。でもいいのだ。noteでくらい、好きに自由にのびのび書いたっていいじゃない。もう戻ることすらしないぞわたしは。もうしらん。思考そのままに、今日は書きっぱなしでいこう。
そうだ、思い出した。なぜ食べものの話をしたくなったのか。食品ロスについて考えていたからだ。思考があまりにも多すぎて、本題に入る前にこんなに長くなってしまった。仕切り直して今度は本題のみで突っ切ろう。もしかしたら忘れてなにも書かないかもしれないが、それでもいい。
とにかくわたしは明日も無意識に擬人化しながら、食べものたちとの短い出逢いを慈しみ、お別れまでの愛おしい時間をこころいっぱい味わうのだ。