アセマネ業界の業界研究~書籍編①アセットマネジメントの世界

早速ですが、続編について記していきたいと思います。

~目次~
資産運用の機能と社会的な役割
・アセットマネジメントとは?
・市場の歴史について←今回はこっち

金融市場の歴史について
金融業界で注目を集めている問題の一つに「金融危機」と「時価会計」があります。かつての日本では、財務諸表を作成する際、簿価で評価する原価法でも時価法でもどちらでも大丈夫でした。しかし、金融機関や企業の経営が市場の乱高下の影響を受けることを考慮できていないと判断し、時価会計を導入することにしました。これらの変化は必ずしも日本企業の意向を踏まえたものではなく、欧米の基準に日本が合わせた形になります。ほかにも、日本が欧米の定めたルールに従うことになり、欧米金融業界のしたたかさと行動の速さが感じられますね。

1970年代の日本は、頑張って金融業界が成長した時代、1980年代は酔いしれていた時代、1990年代は失われた10年と呼ばれて縮小していた時代です。この中でも、①「日米円ドル委員会の設置」②「プラザ合意」③「バーゼル規制」④「金融ビッグバン」⑤「金融再編」は現在の金融界に大きな影響を与えています。

①「日米ドル委員会の設置」とは、アメリカの財政赤字と貿易収支赤字を解消するために、日本の金融・資本市場の自由化を求めたものです。この出来事により、日本が開かれた金融市場を持つ第一歩になったのではないでしょうか?また、1980年代のバブル経済の引き金にもなりました。
②次に大きな影響をもたらしたのは「プラザ合意」と呼ばれるものす。1985年のアメリカは、インフレが加速して金利が上昇していました。その結果として、アメリカに資金流入が起こり、ドル高の影響で輸出産業が大打撃を受けることになりました。そこで「ドル安誘導」の国際協調を決めた合意のことを「プラザ合意」といいます。円の評価が1ドル250円から120円と2倍以上になり、ドル表示の円のプレゼンスは著しく高くなりました。
③バーゼル規制とは、資産に対して8%の自己資本比率の維持を義務づけるものでした。銀行のリスクの取り方は各社に任されていましたが、その活動に制約が加わることになりました。
④4つ目の大きな出来事が「金融ビッグバン」です。個人金融資産をより収益性の高い金融資産に振り分け、国力を回復させる。また、バブル崩壊後の国際市場での日本の地位を向上させる狙いがあったと思われます。なかでも、影響の大きなものとして「銀行と証券の一体化」が挙げられるでしょう。
⑤本来、出た利益は、社会と株主に還元するのが企業の役割ですが、日本の金融界はそれを果たせなくなってきているかもしれません。事業会社に向けた、銀行による貸し渋りが例として挙げられます。融資判断が硬直的になっており、かつてのように長期的な利益を考えて融資を行うことが減ってきています。
日本の財政に目を向けると、財政赤字が急増していて、国の借金の返せる見込みが減っています。さらに、少子高齢化で社会の活力は低下していくでしょう。この状況を脱するために成長の著しい新興国ビジネスに目を向けるようになっています。メガバンクの東南アジア戦略もそうした意図があるのでしょう。

この閉塞状況(国力の低下)をどう解決していくかが、今後の金融業界の課題になるでしょう。

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