怒りの心は無くならなくても
「智慧あるものに怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」(釈迦)
批判をすることは簡単だ。
それは大抵、相手の逆張りをすれば出来てしまう。
とにかく、その人の一挙手一投足をもって、悉く反対の事を言ってしまえば成り立つ。
理屈と膏薬はどこへでもつく。
それらしい言葉で言いくるめれば、立派な反対意見の完成だ。
対して、相手を尊重し、同意して共感する事の何と難しい事か。
人は本質的に、簡単な方に流され易いと聞く。実際自分を見てみるとその通りだと思う。
批判に批判で返す事もまた簡単だ。
売り言葉に買い言葉、売られた喧嘩をそのまま返せばそれでいい。
けれど、それは地獄の入口だ。
批判は新たな批判を生み、小さな火種は広がって火事になり、やがて全てを焼け野原に変えてしまう。
怒りは無謀に始まり後悔に終わるものらしい。
一度ついた火を消すには並大抵の苦労では足りないこともあるだろう。
そんな時は、一度そこから離れてみるのも一つの手段だと思う。
対岸の火事にしてしまえば、客観的に物事を捉える事ができる。
冷静になってしまえば、八方塞がりと思える状況にも、思わぬ所に突破口があったりするものだ。
批判と怒りの炎に呑まれ、全身火だるまで怨嗟の言葉を吐き続ける事の無いよう、自律して。
そうしてそっと穏やかに生き続けられる。
そんな人間に、私はなりたい。
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