現代遊戯王の楽しいところを語る。
筆者は遊戯王マスターデュエルから入った新参で、それゆえ11期以降の遊戯王しか知らない。リンクショック未経験、過去の遊戯王に思い入れがなく、11期のルール、バランスをこういうものだと最初から受け入れている。最近にじ遊戯王祭を見て再燃した。そういうプレイヤーから見た現代遊戯王の楽しいところを、なんとなくこの日に語ってもいいんじゃないかと思う。現代遊戯王は楽しい。
いきなり激しく、メリハリあり
地味なリソースの取り合いって地味だよな。毎ターンマナが増えるゲームはどうしたって地味に立ち上がって地味な交換が続く。頭脳戦は他人からは見えない。わかりやすい見どころは天秤が傾く瞬間、天秤を傾ける1枚のパワーカードだ。デュエマはいきなり滅茶苦茶になるギミックを捻り出しつづけてきた。左上の数字が邪魔だからだ。
遊戯王は最初から全力で動く。初動1枚からグイグイ展開が伸びていって、突然相手の手札誘発が展開の急所を突く。誘発1枚では勝たない。ルートを変え二の矢をついでリカバリーを試みる。初動・誘発・貫通札の応酬が1ターン目から繰り広げられる。本質的には1:1交換や1:2交換だったりするが、”展開”という要素が“カード1枚”という概念を希薄化させ、手札1枚1枚で激動が起きているような見かけになるのが遊戯王独特の光景だ。
手数を制限するという意味では召喚権は負の遺産かもしれない。いや、自分のターンに1度きりの特権として、むしろ楽しく頭を悩ませる要素かもしれない。「《紅涙の魔ラクリモーサ》に召喚権を割いて《白き森のリゼット》はアザミナ展開に使うか? それとも《白き森のシルヴィ》をサーチして白き森展開から伸ばすか?」みたいな。後者が良さそうだけど、ドロバを貰ったときだけは逆転しそうだ。泡影まで持たれていたら……
順番に動くのもいいところ。1ターン目、主役は先手のプレイヤー、手札誘発を掻い潜ってどこまで盤面を敷けるか。2ターン目、主役は後手のプレイヤー、いかに相手の盤面を突き崩して捲ってみせるか。これは短いターンを交互に繰り返すのとは別種の、攻守に分かれたゲームのわかりやすさだ。実質野球観戦。
ヒロイックな顔なじみ
《召命の神弓-アポロウーサ》や《フルール・ド・バロネス》のような汎用エクストラが広く搭載されているのはいいことだ。
遊戯王に限らずカードゲーム全般にいえるが、カード1枚の価値は傍目にはわかりにくい。一見意味不明なカードが引き起こす強烈な連鎖反応がカードゲームの面白さだ。だから面白いカードゲームは本質的なわかりにくさも内包する。面白いカードゲームなのに素人目には何もわからなくてつまらないなんて、あっていいのか?
汎用エクストラだ。「ウーサとバロネスが並んでしまった、これは手強いぞ」「リンク値が4まで伸ばせた、《アクセスコード・トーカー》だ!」と言えるのは汎用エクストラの恩恵にちがいない。途中のカードを知らなくたって、お馴染みのゴールさえなんとなく知っていれば、何が何枚出たかで盤面の強度を想像できる。現代遊戯王の複雑性を縮減し、観戦者に必要な知識を少なくできるという点で、見慣れ親しめる性質はとてもありがたい。
マスターデュエルはこの辺偉くて、この顔を覚えておけというエース級にはたいてい召喚演出がつく。エクセルのテキストなんて覚える必要はないのだ。ディアベルスターとマスカレと炎龍と咎姫とウーサと……
なんかカラフル
本気で言ってる。召喚法ごとに枠の色がカラフルなのが楽しいよね。
カード枠の色は、たとえばデュエマなら文明ひいては戦略を表す。赤いカードは典型的に攻撃的で速攻や大型ドラゴンに関連した効果を持っている。DCGだと単にレアリティで違うだけという場合もある。高レアリティのカードだ、君もこのカードが欲しくないかね。枠の色は目立つ。そのカードゲームが重視する何らかの要素と結びついているはずだ。
属性や戦術ではなく召喚法で色分けするというのは特徴的だと思う。2+6でシンクロするのも2体でリンク2にするのも4+4でエクシーズするのも、どれもモンスター2体が1体になるだけといえばだけだ。それが白いカードと青いカードは異なる仕方で足し算する、黒いカードは異質、というようなのはすっと飲み込めた記憶がある。
遊戯王は展開という他にみない概念のあるカードゲームだ。1枚のカードからどんどん伸びて、そして集約される。カードを2枚並べるだけでは意味をなさず、1枚に集約してやっと実用的になる。そういうゲームだから、集約の仕方こそがプライマルな関心事なのだ。というのはやはり他にはない。
召喚法が出揃って扱いがフラットになった11期から参入できたのがよかったなーと思う。サンキュー11期マスタールール。