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教員になる決意とその背景

認定NPO法人Teach For Japan(以下TFJ)での活動やその他様々な団体での活動などを盛んに行い、一時期は教員以外を真剣に考えましたが、真剣に考え、迷ったからこそ、教員を目指します。その経緯をちょこっとOPENする回です。要素はいくつかありますが、3つだけ。

①頭から離れない言葉

かつてTFJと出会って間もない頃、TFJで研修などを担当されている池田由紀さんが「公教育は、教育の最後の砦だ」と仰っていたことをよく覚えています。

どれだけ教育に興味があり、子どもと関わるじんせいにしたいと思っていても、民間の立場からではすべての子どもと関わる事はできない。文部科学省のような制度設計者のような場所を選択したとしても、現場を知らない自分が、何を語れるのか。家庭の次に生活時間が長い学校を知らないままでは、やることなすことすべてが中途半端になってしまう

それは、シンプルに嫌と感じた。

それが1つ目の理由です。

②小学校勤務の半年間

昨年10月から3月まで、山梨県内の小学校で、会計年度任用職員として採用していただき、「学力向上支援スタッフ」として勤務しました。週8時間の勤務でしたが、1年生から6年生まですべての科目に幅広く授業補助に入ったことで、自分の知らない世界と出逢いました。”自分自身が通学したことがあるからよく知っているはずだ” と思っていた現場は、まだまだ未熟ながらも、教育を学んでいる立場から見れば、全く異なる世界に移り、毎日が新鮮でたまりませんでした。

1クラス25人と小規模でありながらも、25人にはそれぞれの色がある。その色をうまく汲み取り、混ぜ合い、活かし合いながら『学級』という空間を作っていく先生方を見て、これが現場だ、と強く実感すると同時に、自分自身にもその経験が必要不可欠であるように感じました

校種にこだわりはないけれど、『社会科を教えたい』という想いを大切に中学校 or 高校を選択するのか、科目を横断し、多様な学びの機会を仕掛けることができる小学校を選択するのか。

どちらが正解かはわからないし、自分自身のキャリアやライフワークバランスを含めて考えるべきだとでも思っています。まだ答えはでないけれど、現状は小学校で教員をしたいと考えています(その理由はまた後日)。

③『キャリア』を考えて

教員をやることはあくまでも過程であり、ゴールではないと考えています。自分が60歳の定年まで教員をやっているイメージは全く湧いていないのが今の率直な感想で、途中で自分の ”やりたい!” の実現に向けて『教員』という安定した、失敗のないレールを降りている自分を想像しています

それはなぜか。

教員が自分のやりたい!の実現の最適解ではないと感じているから

教育に関わり続ける人生を歩みたいと考えている以上、『教員』という経験は必要不可欠。でも、それは自分の『誰かの想いや願いの実現に伴走する』という ”やりたい!” に直結するかと言われれば、どこか遠回りな気もしている。今、さまざまな角度から高校性、大学生に向けた活動をしているけれど、教員よりは近い距離から挑戦できている気がする。

だから、今している活動を、卒業で止めたくない。でも副業はできないから、止めざるを得なくなることは明白。それを止めることに抵抗がないかと言われれば嘘になる。

何なら、「起業までを見据えてチャレンジしてみたら、結構いいところまで行けるはず」と言い、支援しようとしてくれる方々もいる。

でも、まずは教員をやる。

起業はいつでもできる。でも教員は、ファーストキャリアでやりたい。むしろ、ファーストキャリアでやっておかないと、絶対後悔する

だから、教員をやる。

最後に

『教員』という選択が正解かはわからないし、教育実習や卒業までの1年半の中で、結局民間を選択しているかもしれない。でも、今は『教員』がいい

教員でいいではなく、教員がいいと思えている自分を信じて、やってみる。

長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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