文章組手13回 しょぼい喫茶店 3000字

 私が飲食店に求めるのは完成度だ。自炊を超えた料理やサービスに対して日々の僅かな給金から支払いをする。完成度が高いからこそ、支払う側のこちらとしても気持ちよく過ごせる。食事だけではない。その場が持つ雰囲気、居心地の良さ、独創性なども大切だ。
 ラーメンや牛丼のようなファストフード的な場ならそんなことは思わない。そういった場で提供しているのは食事だけだと割り切っている。

 しかし、食事だけでは割り切れない場所も存在している。どんなファストフード的チェーン店であっても、喫茶店は違ってくる。喫茶店はコーヒーなどの飲料と軽食を提供している。そして、何よりも大切にしているのは「喫茶店という空間」だろう。コーヒーやヤニの香り、隣席が頼んだパフェなどの甘い香り。流れる音楽もそうだ。ジャズが好きな店主の店ではマイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックが流れ、少しクセ者だと思わせる店主の店では山下洋輔やセシル・テイラーなどが流れている。

 椅子もまた重要だ。喫茶店は一杯の飲み物で長時間居座る。私の客単価は安いので長居してしまうことを申し訳ないとは思うのだが、椅子と空間が私を歓迎してくれている。いくら座っていても腰が痛くならない。自宅で使っているアイリスオーヤマの椅子とは大違いだ。いや、アイリスオーヤマの椅子も値段相応の働きはしてくれている。だが、喫茶店、喫茶することを目的とした場に敵うはずがない。

 喫茶店の特殊な所は「一人を楽しむことができる」ことだとも感じている。私は一人で焼き肉なども行く人間ではあるが、人にそんなことを話すと「一人でご飯なんて信じられない」などと言われることもある。しかし喫茶店ではどうか?「時間あったから一人で喫茶店に行っていた」と人に伝えた所で「普通じゃない?」と言われる。これは外食の中では割と凄いことだと感じている。私自身が喫茶店に行くと心地よいと思えるのが、パーソナルスペースが確保され、小説を熟読できる「憩い」がある部分だ。

 喫茶店を運営されている方は大変だと思う。定年後に趣味ではじめた喫茶店とかなら別だろう。その人ができる範囲でできることをやれば良い。しかし「喫茶店で食っていく」と考えるとその行く末を他人ながら心配になってしまう。私の記憶の中で、儲かっている喫茶店は料理のデカ盛りが有名なところばかりだ。しかしそうなると喫茶店としての機微は失われてしまうのではないのかと考える。よしんばコーヒーも美味しかったとしても行列が途切れない喫茶店では沢木耕太郎先生の深夜特急を全巻一気読みなんて行為は許されないだろう。

 私の喫茶店への思いは上記の通りだった。しょぼい喫茶店に行くまでは。

 知ったキッカケを思い出していたが、2018年の夏ごろか?確かあまなつ氏がフラっと行って良かったみたいなツイートをしていたからだろうか。当時はイベントバーエデンも盛り上がりつつあり、私の中では「イベントスペース」的な括りで考えていた。ただ、調べてみると喫茶店なのにカウンターが主で椅子はバーで使われるタイプ。そして机が1つしかない作りを見て「喫茶店らしくないな」と感じた。
 行く機会がないまましばらく経ち、しょぼい喫茶店の様子はあまなつさんなどから流れてくるツイートなどで多少見ていた程度だった。そんな中、あまなつさんがしょぼい喫茶店でイベントをやるという。内容を伺うとお客さんと話しながら飲み物・食べ物を提供する形という。私はちょうどその時期に引っ越しを計画していたのでタイミングが合わずに行くことができなかった。しかし、私は毎年誕生日あたりに自分のバンドのライブやトークイベントなどを開いていたこともあり、10月辺りで何かイベントができる場を探していた。
 誕生日が10月3日なので誕生日イベントだ。誕生日は大切で強盗・殺人・拐かし以外は何をやっても許される。そんな中、あまなつさんが何度も行っているツイート、イベントの感想ツイートを見て「ここなら良いのでは?行ったことないけど」と感じたのだ。しかし行ったことがない場所でやるとオペレーションなどが破滅するので、一度行ってみることにした。

 新井薬師駅前から歩いて少しで到着する。しかし、歩いているといつの間にか中野に近づいている。来た道を引き返すと目印になる焼き鳥屋。そして道路を隔ててしょぼい喫茶店が入ったビルがある。看板が出ていない。目線を上げて2階を見ると喫茶店らしきお店。人の気配はない。
 調べてみるとその日はたまたま夕方からだったらしく少し時間を潰す。そして再度訪問。まず、ドアを開けて驚いた。写真では見ていたが、改めて喫茶店らしくない。元々はカウンタータイプのバーだったのだろうか。L字のカウンターと机とソファー。カウンターには若く男前な兄ちゃん。ツイッターで見たことがある。この方が店主だろう。酒もあるみたいなのでとりあえずビールを注文。喫茶店なのにカウンター。人との距離が近い。ビールを一口飲み、近くイベントをやらせていただくことなどの挨拶。会話もそこそこに友人と話す。他にもお客さんがいて、カウンターで思い思いの時間を過ごしている。

 いつの間にかビールのおかわりを注文し、友人となんの気なしの会話をしている。そこで気が付いた。喫茶だ。ここは喫茶店だ。私の頭の中にある喫茶店とは形は違うが、このリラックスできる雰囲気はたしかに喫茶店だ。この店はパーソナルスペースが狭くなりがちだと思う。しかし、それが良い。ちょっとした会話を店主に振ると、近くに座っていた他のお客さんもふわりと会話に入ってきてくれる。たまたまその時、そんな人がいただけかもしれないがそれが妙に心地良い。

 そうか、この店は喫茶店に新しい形をつくったのかと理解した。喫茶店はパーソナルスペースでパーソナルな行為をやり、多くの人がいる場で個を楽しむことができる。無論、しょぼい喫茶店でもそれを楽しむことができる。しかし、そこにプラスアルファがある。人との関わりだ。濃密な付き合いを求めることもできるだろうし、袖触れ合うゆるい付き合いもある。そして喫茶店らしくパーソナルな場としても存在できる。そして自分自身がイベントを開くことで、有る種の表現媒体としても存在してくれる。

 店という事象は、その店を運営している人間の個性や空気が色濃く出るものだと考えている。しょぼい喫茶店は、店主の控えめで、だけどおおらかで、程よい距離感を保つ心地よい気遣いが息づいていた。だからこそ、自分がこの店でイベントをやるということを深く考えた。やりたいことがあるならそれを思い切りヤればいい。そこで発生する迷惑なんて知ったことかと考えているのが私だが、自然と「この店に適したイベントを開催したい」と感じてしまっていた。理由は一つ、すでにしょぼい喫茶店のことが好きになっていたのだ。

 イベント当日は最高だった。仲の良い友人、あまり知らない人、しょぼい喫茶店はどんなお店かを見に来た人、色んな人が来てくれた。普通にトークライブをやった感じではなく、この店が持つ力を借り「丁度いい雰囲気」の中で私も楽しく充実した時間を過ごすことができた。

 人は新しい物を見たり感じた時に戸惑う。既存の常識に新しい常識をインストールする際の戸惑いだ。しょぼい喫茶店にはそれがなかった。それはしょぼい喫茶店が持つゆるやかな繋がりから生まれる包容力により、脳と心がリラックスできたからだと考える。

 「丁度いいゆるさ」を求める方はぜひ一度、しょぼい喫茶店に行ってみて欲しい。なんにでも白黒つけたがる現代社会のオアシスとしてあなたを受け入れてくれるだろう。もし、雰囲気などが合わなかったりしてもそれはそれだ。新しい場所を探せば良い。そんな軽いフットワーク、選択肢すら与えてくれる。自由に慣れていない戸惑いが、ゆるい優しさに包まれる。誰もがゆるく存在でき、ゆるい喫茶店として楽しめる。そんなしょぼい喫茶店。行くごとに好きになる不思議で貴重な場だ。

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