友だち100人
そのハガキを手にリビングに行くと、ママとお姉ちゃんがテーブルに向かっていた。
静かだ。今夜はテレビもついていない。ママが読んでいるのは雑誌だし、お姉ちゃんが見つめているのはスマホだけど、じっとうつむいているようすは、図書館の自習室みたい。話しかけたら叱られそうだ。
つま先立ちで近づいてのぞきこむと、ママはクロスワードパズルのページを開いていた。四角いマスのあちこちに、ペンで文字が書きこんであった。
お姉ちゃんは、スマホでゲーム中。指先がくるくると画面の上を動いている。
「勉強……じゃないよね?」
声に出したら、お姉ちゃんに「うるさい」といわれた。ムカつく。
わたしはいい返さず、ママに向き直って、持ってきたハガキを差し出した。そこには、よれよれした字でこう書かれている。
『なっちゃんへ。いちねんせいになったらともだち100にんつくろうね。いな』
それは郵便ハガキだけど、切手じゃなくてネコちゃんのシールが貼ってあるし、あて先の住所もない。きっと手渡しされたのだ……と思うのに、記憶はよみがえってこない。
『なっちゃん』というのわたしのことだ。
でも、そう呼ぶのは、今じゃママくらいかな。お姉ちゃんは「菜月(なつき)」とエラソーに呼び捨てにしてくるし、学校では「アマナツ」だ。名字が天木(あまぎ)だから。
「ママ。この『いな』って、幼稚園の友だちの名前だよね?」
「いな? いなちゃんって……うーん」
ママがお姉ちゃんに聞こうとしてやめたのがわかる。お姉ちゃんとわたしは4学年違う。幼稚園時代が重なっていないのだ。
お勤めしているから、ママも幼稚園のことにはくわしくない。わたしを園まで送り迎えしてくれたのはおばあちゃんだった。去年、おじいちゃんとふたりでいなかに引っ越しちゃったけどね。おばあちゃんなら、覚えてるかも。明日、電話してみようかな。
「卒園のときにくれたものだと思うんだ。きっと小学校が分かれちゃって……うーん」
結局、わたしもうなった。
幼稚園で一緒だった子は、いくつかの小学校に分散した。いなちゃんがどの小学校に行ったのか、探す時間は……ない。
わたしたちは6年生。もうすぐ卒業する。
「同じ幼稚園に通える距離に住んでるなら、この子に、また中学校で会えるかもよ」
ママがいった。
そうだね、中学校区は広いから、卒園以来の再会をする子もいるよね……って答えようとしたら、ママはつづけて、こんなことをいいだした。
「ねぇ、『切れたら願いがかないます』って何だろ。それがヒント。4文字の言葉で、下の2文字が『ンガ』だから、答えはモモンガだと思ってたんだけど……」
モモンガを切らないで!
ギョッとするわたしのそばで、お姉ちゃんがスマホを見たままポツッといった。
「ミサンガ」
「え?」
「色つき糸で編んだヒモみたいなやつ。手首に巻いたりする」
「あ、そうだった! 切れたときに願いがかなうっていってたね。友だちとおそろいでつけたりしたわ。思いだした。ありがとう」
『ンガ』の上に『ミサ』と書きこむママを見ていたら、無意識にこういっていた。
「ママって、友だち、何人いる?」
ママが、ぽかんとわたしを見た。
「なっちゃん、今日、ちょっと変じゃない?」
変かな? 変じゃないよね? いつもと違うことをしているって自覚はあるけども。
いつもと違うこと、それは大掃除。
4月から中学生だもん。教科書が厚くなるぶん、本棚を広く空けなくちゃ。バレーかバスケかソフトテニスか。運動部に入りたいと思っているから、用具の置き場所も作っておきたい。要らなくなった「小学生グッズ」は片付けよう。幼稚園で使っていた、小さくなったクレヨンまでとってあったしね。
一日じゅう、引きだしをひっくり返したり、押入れにもぐりこんだりしていたわたし。
そうしたら、このハガキを見つけた。ふと見ると、足元に落ちていたのだ。手品みたいだった。いつ、どこから出てきたのか、まったくわからなかった。
『いちねんせいになったらともだち100にんつくろうね』
そういえば、数えたことがなかったな。わたしの友だちって、何人いるんだろう。
うちの小学校、6年生は65人しかいないから、全員と友だちになれたとしても足りないよね。通学班や縦割り班でいっしょだった子も「友だち」ってことにして、いい?
「いなちゃんは、100人できたのかなぁ」
もちろんだよっていわれたら、ちょっとへこむかも、と考えていたら、
「覚えてもいない子と張り合ってんの?」
お姉ちゃんが鼻で笑った。あー、ムカつく。
「じゃあ、お姉ちゃんは? 何人?」
友だち100人なんて、絶対いないよね、その性格。お休みなのに、一日じゅう家でごろごろしてたもんね。
お姉ちゃんは、めんどくさそうに答えた。
「友だちの定義にもよるね」
てーぎ? 何それ?
お姉ちゃんって、漢字でしゃべることがあるよね。意味がわからなくて、わたしが口をつぐむのを楽しんでるんだと思う。ほんと、ムカつくなー。
わたしは、ツンとあごをつきだす。
「つまり、100人はいないんだね? スマホの登録も、3人くらいだったりして」
お姉ちゃんが首をすくめた。
「それなら、とっくに100人以上だけど」
「うそぉ」
「小学校の同級生、中学校の同級生、高校の同級生、塾で会う子、部活の先輩……」
「ああ、年を取ってる分、多いんだ」
中学校に行けば、クラスが増える。わたしも、春休みにはスマホデビューする(これはパパが約束してくれたから、確実だ)。
「何人登録できるか、楽しみだなぁ」
「菜月って、スマホに登録してるから友だちだと思ってるわけ?」
お姉ちゃんの憎まれ口に、先に反応したのはママだった。
「友だちって……何だろね」
またクロスワードパズルのヒントかと思った。でも、ママはページのすみにトモダチトモダチ……と落書きをしているだけだった。
「ママは、友だちがどんどん増えてる?」
「『どんどん』は無理。減ることもあるし」
「ケンカして絶交……とか?」
「ケンカしなくても、遠くに行っちゃったり」
「メールすればいいじゃない」
うんと遠いところに引っ越しても、友だちのままだよね? といいたかったのに、
「『遠くに行った』っていうのは『疎遠になった』って意味じゃないの?」
お姉ちゃんが口をはさんできた。
ソエン? また漢字でしゃべったね?
わたしがふくれているのに気づかないのだろう、ママは誰にともなくつづけた。
「メールしたいけど、天国には電波が届かないみたいよ」
わたしは、言葉に詰まる。
お姉ちゃんさえ、一瞬ママを見た。
ママはそれきり、何もいわなかった。
リビングがまた静かになる。静かすぎる。わたしはわざと話を戻して、思いきり明るく声をあげた。
「そうか! ソエンって、わかった。わたしといなちゃんみたいな……」
「りな、でしょ」
お姉ちゃんが不愛想にさえぎってくる。その目はいつのまにか、わたしのハガキに向いていた。
「りな?」
「名前の字、『い』に見えるけど、『り』のつもりで書いたんじゃないの? 『いちねんせい』の『い』と、微妙に形が違うし」
あ……。
頭の奥に、ぱぱぱっと光が走った。
「りなちゃん……」
そう呼んだら、思いだせそう……。
そのとき、お姉ちゃんのスマホがプッと鳴った。ゲームが時間切れになった音かな?
スマホを置いて、ひとりごとのようにお姉ちゃんがいった。
「友だちの定義は、わたしも知らない。だけど……100人なんて、一生のうちにできれば十分だと思う」
「一生?」
「一年生だぞ、友だちを100人作るぞって意気込まなくてもいいってこと。友だちは増えたり減ったりするものらしいし。ずーっと生きてたら、いつのまにか100人になってる……そんなふうでいいんじゃないの?」
お姉ちゃんのエラソーな口調……だけど……あれ? ムカつかない。
なんとなく意味がわかったせい、かな。
一年生になったときだけじゃなくて、毎年毎年、おとなになりながら、わたしも作っていくんだろう。
友だちを。
「あ、そうだ!」
ママとお姉ちゃんが同時にこっちを見てきたけど、わたしはそのまま部屋に戻った。
空いた本棚の上に、りなちゃんがくれたハガキをピンで留めた。
りなちゃんへ。
一年生になったら……もしも中学校でまた会えたら……。
「友だちになろうね、もう一回」
(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2018年度3月号掲載)
2,018年度はこの作品で終わりです。わたしの娘も、中学校に上がって「幼稚園時代のクラスメイト○○ちゃん」と再会しました。「中学に○○ちゃんがいたよ」という娘の報告に「なるほど、そういうことが起こるのか」と驚いた思い出も、ちゃっかり(?)作品にしてしまう母なのでした。