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アンタのロックンロール

 声に出したらダメだ、とレミは知った。
「ママ、ウワキしてるの?」
 ひとりごとだったのに、口から出た言葉は耳に入って、頭にしみこんでしまったのだ。
 疑う理由ならあった。理由だらけだった。
 ずっと黒髪をひとつに結んでいたママが、突然、茶髪になった。パーマもかけた。
「どうして?」と聞いたレミに、ママは「えっちゃんがやってくれたの」とズレた答えをくれた。えっちゃんはママの同級生。美容師さんで、レミも幼稚園時代から、中一になった今でもカットしてもらっている。
 ママは新しい口紅を買った。濃いバラ色だ。いつものピンク色のがまだ残っているのに。
 ママはハミングをくりかえしている。レミの知らないメロディだ。最近のヒット曲じゃない。誰に教わったんだろう。
 今までと変わらずに食事を作り、洗濯や掃除もしているママなのに、その行動をレミが疑いだしたのは「あんた」のせいだった。
 ある晩、ママがこんな電話をしていたのだ。
「わたしにとっても、あんたは大事よ」
 ママが誰かに「あんた」と呼びかけるのを、レミは初めて聞いたのだった。
 ママは、パパのことを「パパ」と呼ぶ。えっちゃんはいつでも「えっちゃん」だ。ママはこの街で育ったから、えっちゃん以外に何人も、子ども時代からの友だちがいる。たとえば、商店街の「HARA文具店」のおじさんをママは「原くん」と呼ぶ。「あんた」と呼ぶ人なんて、レミには思いつけない。
(ママが変だよ。パパ、気づいてる?)
 きっと気づいてない。ママの茶髪を見ても「もう白髪染め?」と笑っただけだから。
(わたしが戦わなきゃダメなのかな?)
 レミに決意のときが訪れたのは、ママが茶髪になってから5日目の朝だった。
「ありがとう。部屋は取れたんだね」
 電話中らしいママの声が、レミの部屋の外を横切っていく。レミはドアの内側に身を寄せ、耳をあてた。二階の廊下の奥は納戸だ。ママの足音はそこで止まった。
「だめ。いわないで。今は知られたくないの。レミにもね。あんたのことは秘密。だって、はずかしいことだから。じゃ、今晩」
 電話が終わったようだ。納戸の扉を開け閉めする音のあと、ママは廊下を引き返していった。深刻そうな話しっぷりだったのに、今では歌を口ずさんでいる。
「まさか……まさか恋に落ちるなんて……」
 ハミングで聞き覚えたメロディだ。ちゃんと歌詞があった。ラブソングだったのだ。
(決定的……!)
 ママは恋に落ちた。髪の色を変え、秘密にして、今晩、電話の相手と会うのだ。
 ママの歌声が階下に消えると、レミは忍び足で納戸まで行った。衣装ケースや段ボール箱を積んだ納戸の隅に、ワンピースがかけてあった。一面にプリントされたバラの花のせいで全体がバラ色に見える、丈の短いワンピース。これまで見たことのない服だった。
「これを着て、デートする気?」
 決定的になったら、悲しくて泣くと想像していた。なのに今、レミが感じるのは怒りだ。
(わたしが戦うしかない!)
「あんた」と呼ばれているウワキ相手にも、ひと言いわなきゃ気がすまない、と思った。
 その日の学校帰り、商店街で原さんが声をかけてきたのは、レミがしかめっ面で歩いていたからだろう。
「レミちゃん、どっか痛いのか?」
 レミは、声がしたほうを見た。「HARA文具店」の前で、ヒグマのように大柄な原さんが、のぼりを手に笑っていた。
 のぼりには「商店街まつり」と書いてある。よく見ると、商店街のあちこちに、同じのぼりが立っていた。
 黙りこくっているレミに、原さんはいった。
「ま、いろいろあるよな、中学生は。ママにいえないことは、おっちゃんに相談しな」
 原のおっちゃんにもいえません。
 レミは心で答え、「まつり」ののぼりがのんびりひるがえる商店街を抜けて帰った。

 日暮れの街を、ママが歩いていく。
 気づかれないように尾行しながら、レミはママが出がけに見せた笑顔を思い出していた。
「パパは7時ごろに帰るって。ふたりで夕ごはんを食べてね。お留守番、よろしくね」
 ママが用意したのはハヤシライス。レミが幼いころから大好きなハヤシライスだ。だから、よけいに怒りが湧いた。親子なのにママはわたしをわかってない、と絶望した。
(何をしても、子どものレミにはバレないって、タカをくくってるんだ。最低だよ!)
 ママが信号で止まったすきに、レミもビルのかげで足を止め、パパにメールを送った。
『図書館で宿題中。マナーモードだからね』
 図書館は駅前の文化センターの中にある。閉館の夜8時までは、レミが家にいなくてもパパに心配をかけずにすむと思った。
(わたしまでウソをついてごめんね、パパ)
 ところが。
「文化センター?」
 レミは思わずつぶやいた。ママが入っていったのは、まさに文化センターだったからだ。
 なぜ文化センター? デートなのに?
 そういえば、ママはあのワンピースを着ていない。ハヤシライスを作ったあと、エプロンをはずしただけのジーンズ姿だ。
 戸惑いながら、レミはロビーをのぞいた。
 ママは、迷いない足取りで進んでいく。その先には、クマみたいな男の人が……。
「おっちゃんが『あんた』なんだ!」
 つい、叫んでしまった。
 ママが、ギョッとふりかえった。

 レミのひざにティッシュの山ができた。
 涙を拭いて鼻をかんで、涙を拭いて鼻をかんで、何度かくりかえしてポケットティッシュが切れるころ、原さんがペットボトル入りのあたたかい紅茶を買ってきてくれた。
 ふた口飲んだら、どうにか話せるようになった。見たものや考えたことをありったけしゃべってから、レミはこう締めくくった。
「いいよ。パパより原のおっちゃんが好きなら、ママを止めない。親子だから……」
 わかってあげなくちゃ。そういおうとしたのに、失敗だ。わかりたくないのだ。また涙があふれた。でも、もうティッシュがない。
 そのとき、原さんが一枚の紙を渡してくれた。「商店街まつり」のチラシだった。
(これで鼻をかめってこと?)
 ポカンとするレミに、原さんはいった。
「レミちゃん、ここ、読んで」
 泣きすぎてかすむ目で、原さんが指さすところを見た。「催しもの」の欄だった。
 特設ステージにて、商店街ロックバンド「アンチ・タイフーン」デビュー!
「レミちゃんも知ってのとおり、おれたちは同級生で……中三のとき、文化祭に出ようって、ロックバンドを組んだんだ。曲も作ってね。おれ以外はみんな初めてで、一生懸命練習したら……当日、台風が直撃した。文化祭は中止になって……泣けたなぁ。そのあとは受験態勢に入って、バンドはそれっきりさ」
 以来25年。メンバーは全員この街に住んでいる。とうに楽器を手にすることもなくなっていたみんなを、「商店街まつり」の実行委員になった原さんが誘ったのだ。
「曲もそのままだ。バンド名は変えたけど」
 それが「アンチ・タイフーン」だ。
「タイフーンって、台風のこと?」
「そう、台風に負けるもんかって意味のバンド名。中学生のときは負けちゃったからね」
 文化センターには音楽スタジオもある。部屋が取れたというのは、演奏の練習ができるよう予約した、という意味だったのだ。
「レミ……隠してて、ごめんね」
 ママがいった。レミはかぶりをふった。
 ロックなんて、いつものママからは想像がつかない。はずかしいから知られたくない、というママの気持ちはわかる気がしたのだ。
 レミは、ゆっくりとチラシを読み上げた。
「アンチ・タイフーン」
 声は耳に入り、頭にしみこんでくる。アンチ・タイフーン。略して「アンタ」だ。
「ママ、楽器が弾けるんだね。知らなかった」
「いや、レミちゃんのママはボーカル。すごい声の持ち主だよ」
 原さんの言葉に、レミは顔をあげた、きまり悪そうに笑うママに、ぼそっといった。
「それ……いちばん驚いた」

「まつり」の当日は快晴。降水確率0%だ。
 バンド名を「アンチ・タイフーン」にしたおかげかな、と青空を見上げてレミは思った。
(違う名なら、誤解しなかったけどね)
 広場に組まれたステージに、楽器がセットされている。奥のドラムをたたくのは「高木歯科」の先生だ。原さんの担当はギター。ベースは「矢野クリーニング」のおじさん。キーボードはえっちゃんだ。今日は髪が赤と銀。さすが、華やかにキマッている。
 中央のスタンドマイクの前に、バラ色の衣装でママが立っている。納戸では派手に見えたワンピースも、新しいバラ色の口紅も、ステージではちょうどいい。ううん、もっと派手でもいい。
(ママはロック・シンガーだもんね!)
 パイプ椅子の客席は、もう満席だ。
 そのせいかアガり気味の原さんのあいさつを、ママは笑顔で聞いている。その堂々とした姿も、カッコイイと思うのだ。
 レミのとなりでは、パパが緊張している。
「ママは大丈夫だよ」
 レミがうなずいてみせたとたん、ギターの音がキュイーンと割りこみ、ママの歌声がいきなり、激しく響いた。
♪WOW! まさか恋に落ちるなんて!


(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2019年度9月号掲載)


連載中、見ているもの、知っていること、巡り合った人、すべてを「ネタ」にした……そんな気がしています。モデルというわけじゃないのに、掲載誌の挿絵が「わたしが想定していた女性」にバッチリ似ていて……文章からそれがイラストレーターさんに伝わるなんて、すごい! と思いました。

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