ちゅーたん弁当
「ちゅーたん、明日はあのお弁当だよね?」
マイがいった。質問のふりをした「決めつけ」か? 修也(しゅうや)は顔をしかめた。
「ちゅーたんって呼ぶな、マイ」
修也の呼び名が「ちゅーたん」なのは、幼いとき、自分のことをそう呼んでいたせい……らしい。おむつをしていたころからの友だちだが、マイだって当時のことなんか覚えているはずはないのに。
家はとなり、修也とマイは母親同士も仲良しだから、未だに「あのころは『ちゅーたん』『マイたん』って呼びあっていたわねぇ」なんて、ことあるごとに蒸し返す。忘れてくれよ、と修也は思う。
修也の表情など、マイは気にもかけない。
「ちゅーたんは、ずっとちゅーたん。お母さんだって『ちゅーたんママ』なんだもん」
むかつく。
修也はマイに背を向けると、質問にも答えず、ずんずん家まで歩いた。
(忘れてた……)
玄関の見慣れないクツを見て思い出した。
今日はお客さんが来る。だから、家にいたくなくて、マイをショッピングセンターに誘ったのだ。デートじゃない。明日の子ども会行事の打ち合わせのためだ。市民公園でのレクリエーションは6年生が担当するから。といっても、そんな話はすぐにすむ。あとはハンバーガーでも食べて、ゲームコーナーをのぞいて、3時間はぶらつくつもりだったのに、1時間足らずで帰ってきてしまった。
乱暴にドアを開けたので、こっそり、二階の自分の部屋にかくれるのも不可能だ。
玄関わきのガラス戸の向こうは、リビングダイニング。お客さん用ソファーと、ふだん食事をするテーブルと、母が料理を作るキッチンが、パーッと見渡せてしまう。
「修也くん? おじゃましてます」
そのガラス戸を開けて、ゆったりとおじぎをしたのは、ユキさん。東京から来る、出版社の人だ。ユキさんは笑顔でつづけた。
「二作目の本、発売が決まりました」
「……はあ」
それ、おれには関係ねーし……と言葉は用意したが、若くて美人のお客さんに吐き捨てることはできず、修也は階段に向き直った。
「子ども会の準備、忙しいんで」
「明日ね。お弁当を持っていくって聞いたわ。次の本、お弁当をいっぱい載せるのよ」
「……そっすか」
ボソッと答えて、階段を駆けあがった。
母がユキさんに「修也ったら。ごめんなさいね」というのが聞こえたから、部屋まで、ろうかをドスドス歩いた。
『明日はあのお弁当だよね?』
『お弁当を持っていくって聞いたわ』
マイにもユキさんにも「弁当はコンビニで買ってく」と答えられなかった……。
修也の母は料理好きだった。父と結婚する前や修也が生まれる前はレストランやケーキ屋で働いたことがあるそうだ。毎日の料理や手作りおやつをデジカメで撮影して、アルバム代わりにブログに載せるようになったとき、「ちゅーたんママ」という名を使った。
ブログはだんだん人気を集めていき、修也が3年生のときには「本を出しませんか?」と出版社から声がかかった。料理を作っては撮影し、何度も話し合い、本が出たのは4年生の終わりだった。
その本の最後のページに、キッチンで焼きたてのクッキーをつまみ食いする修也の写真が載っている。3年生だったころは、母の仕事ぶりをながめるのが楽しかったのだ。
(今なら、写真なんか撮らせねーぞー!)
修也は、3年生の自分がうらめしい。
「ちゅーたんママ」の本は新聞やテレビでも取りあげられ、売れていった。
今、母の料理ブログを毎日数万の人が見ているそうだ。だから、二作目が出るのだろう。新しい本の企画を相談しにきたとき、「おおぜいの読者さんが待っているのよ」とユキさんがいっていた。
「修也の母ちゃん、美人!」「おまえの写真、載ってたじゃん」「本屋さんで買ってきたよ」「ママのサイン、くれー」
毎日のようにだれかに何かいわれ、逃げたこともあれば、ケンカになったこともある。
大メイワクだ。
窓を開けようとして、ふと外を見ると、となりの家の向かいあう窓で、数枚の白い紙がひらひらしていた。紙には太い線で『明日、集合は8時半』『ちゃんと早起きするんだよ』と書いてあった。あそこはマイの部屋。あれはマイの字だ。いつ貼ったんだろう。ちょっと前までいっしょにいたのに。
いちばんはしの紙に書かれた文字は、
『がんばれ、ちゅーたん!』
(よけいなお世話だっての。マイにいわれなくても、おれは起きれるし、がんばってるし、ちゅーたんじゃねー)
修也はベッドに倒れこんだ。
ぐううっと、おなかが鳴った。メシは食ってくれよと、おなかの虫がおこっている。
しかたない。危険な玄関をぬけて、コンビニでも行ってくるか。
起きあがったとき、コツコツ、と小さなノックが聞こえた。
「何だよッ」
母だと思った。だが、ドアを開けたのはユキさんだった。
「ちょっといいかな?」
戸惑って答えられない修也の部屋に入ってきて、ユキさんは床に正座した。
「次の本ね、お昼ごはんがテーマなの。会社や学校に行く家族のお弁当と、家にいる家族のお昼ごはんを、同じおかずで作るときの工夫をいっぱい載せるの」
(あー、そーですか)
「それで、修也くんに聞いてほしくて」
修也はベッドに腰かけたまま、ちらっと窓を見た。あの紙、いつまで貼っとくんだろ。ユキさんに見られたくない……。
「修也くんにも関係があるの」
「ないっす。小学生は給食を食います」
「夏休みのお昼とか、行事のときとかは?」
(昼メシは食うけど、いつまでも母ちゃんの弁当なんか、ありがたがるわけないっす)
「修也くん、このお弁当、載せてもいい?」
そっぽを向いていたから、気づけなかった。
ユキさんの手にはナプキンの包み。それをひざの上で開くと、見慣れたアルミの弁当箱が現れた。
楕円形で、小さなへこみやキズがあり、ふたに描かれていたイラストははがれて、何の絵だったのかもわからない。
母の、子ども時代の弁当箱だった。
鉄のお弁当箱なんて、ロボットが使うみたいで、かっこいい! 「アルミ」という名も知らなかったころ、「ちゅーたん」はそう思ったのだ。
『ここにカラアゲ。こっちにお花のゆでたまご。ごはんにはふりかけ。ピーマンはちょっぴり食べる。ニンジンも入れていいよ。あまくしてね。はしっこに入れるのはリンゴ』
幼稚園にお弁当を持っていく日は、いつも同じメニュー。修也はふりかけくらいしか手伝えなかったけれど、いつのまにか、それは「ちゅーたん弁当」と呼ばれるようになった。弁当箱ごと、修也のものになったのだ。
小学生になっても、必要なときは「ちゅーたん弁当」を作ってもらった。食べる量が増えたからぎゅうぎゅうづめになって、はしっこに入れていたフルーツが別の容器に引っ越して、マイにまで「あのお弁当」といわれてしまった、ちゅーたん弁当……。
『次も、同じのを作ってね!』
修也がそういったから、母は写真を撮った。
修也が喜ぶ料理は全部、デジカメで記録するようになった。
ブログに載せて……「お料理ブロガー・ちゅーたんママ」と呼ばれるようになって……本まで出て……。
「お母さんね、このお弁当がいちばん大事なんですって。だから、載せたいの」
ユキさんがそういって、ふたを取った。
いつものメニュー。でも、中身は幼稚園のころの量だ。はしっこには、三角に切ったスイカが入っている。
「修也くんはもう、絶対写真を撮らせてくれないわって、お母さんがおっしゃってたけど……これならいいよね? はい、どうぞ」
ユキさんがそういって「ちゅーたん弁当」を修也のひざに置いた。
「お昼ごはん、まだでしょ? ちょっと少な目だけど、これ、食べてってお母さんが」
「え……おれは……」
ぐううう。
代わりに、おなかの虫が返事をした。
ユキさんはクスッと笑い、それをごまかすように鼻の下をおさえて、部屋を出ていった。
(本に載って、「ちゅーたん弁当」をたくさんの人が見ちゃうのか……)
「それでも」と、修也はわざと声に出す。「これは、おれの弁当だ」
おまけに、おれは腹ぺこだ。「どうぞ」というなら食ってやる。
そのとき、気づいた。
「はしが……ない」
手づかみするか、キッチンに取りにいくか。
キッチンに行けば、リビングまで見渡せてしまうのだが……。
「しかたないなぁ」
弁当箱をベッドに置いて、修也は立ち上がった。ふとふりかえると、マイの窓の紙は、風ではがれ落ちていた。残ったのは一枚だけ。
『がんばれ、ちゅーたん!』
よけいなお世話だってば。
(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2017年度8月号掲載)
※ブログなどから台頭してきた料理家さんたち……好きな人が何人かいます。ジャンルは違えど、親近感みたいなものを覚えるのです。「好きでやっていたことが認められて仕事になっていく」その過程がわたし自身の体験に重なるからです。子どもが幼いときの在宅仕事のたいへんさ、とかね。
※これらの作品群(ショート・ストーリー 子どもの季節)に関しては、最初の投稿をご覧ください。