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セイリング

 なんで、その話になったんだっけ?
 そうだ、6年生になると修学旅行があるっていう話からだ。カンナが「うちのお姉ちゃん、修学旅行中に初めて来たんだよね」といいだしたのだ。
 わたしがポカンとしていると、カンナは早口で「セイリング」とつけたした。
 ああ、そうか、そうだったんだ。
「ちゃんと準備してても、やっぱりお姉ちゃん、おろおろしちゃったんだって」
 それはしかたないと思うなぁ。「初めて」なんだから。いつもの授業の日だっておろおろするかもしれないのに、「修学旅行中」だったんだもんね。
「そうそう、お姉ちゃんね、おなかが痛くなったことがないんだって。人によってちがうっていうけど、不公平だよねーっ」
 カンナのふくれっ面に、わたしはうなずいた。まだ「初めて」が来ていないわたしだって、うなずくしかない。今日もカンナは「おなかがずんずんする」って、からだをまるめていたのだから。
 そういえば、セイリングって言葉は誰が言いだしたんだっけ? 夏ごろから、わたしたち5年2組の女子に広がって、今では1組の子も使っているらしい。
 先生はかっちりした線で黒板に「月経」と書いていたし、通学班の6年生は「女の子の日」なんて呼んでいたけど、わたしたちの呼び方は、いつのまにか「セイリング」。
 発音も、ちょっと英語っぽくする。だから、耳にした人は「セーリング? 海に行くの?」なんて聞いてきたりする。船が帆に風を受けて水上を進むことを「セーリング」っていうから、帆を張って海を渡るヨットが目に浮かぶんだろうな。
 親友のカンナは5年生になってすぐ、初めてのセイリングを体験した。わたしは、いつでも来い、と思ってる。だけど、おなかがずんずんするのはいやだなぁ。
 そんなことを考えていたら、カンナがいきなりぴょんぴょん跳ねた。
「でもさ、ひかり、セイリングって言葉を流行らせた子、天才だと思わない?」
 明るくいって、両腕を広げ、音が聞こえるほど大きく息を吸った。
「アイ・アム・セイリング! ほら、さわやかな潮風を感じるもんね!」
 わたしもつられて、息を吸ってみた。
 煙の匂いしかしない。どこかで落ち葉を焼いているのかな。
 ここから見えるのは山、家、畑、林、そして山。海は遠すぎる。
「カンナってば。潮風は無理だよ」
 思わず笑ったら、カンナがわたしを見た。
「ああ、よかった!」
 戸惑うわたしに、こういった。
「ひかりのほうがわたしよりずっと、おなかがずんずんしてる顔だったよ、一日じゅう」

 いつもの分かれ道でカンナと「バイバイ」するまで、わたしはニコニコしつづけた。もう、カンナに心配させたくなかったからだ。
「おなかがずんずん」みたいな顔でいたなんて、自分ではわからなかったけど、その理由なら心当たりがあった。けさ、学校に行く前に、お母さんにいってしまったのだ。
『わたしのこと、どうでもいいんでしょ!』
 何度話しかけてもお母さんが返事をしてくれないから、キレたのだ。
 あれ? わたし、何を話したかったんだっけ? 忘れちゃうようなことだったの?
 けれど、張りあげた自分の声は残っている。口から出ていったはずなのに、なぜか今でも頭の中でこだましている。
 あのとき、お母さんは目をまるくしていた。わたしの大声を初めて聞いたみたいに。これまでだって、親子げんかはしたのにね。
 お母さんの目を見たら、声が出なくなった。
『お母さん、このごろヘンだよ』
 ボソッといって、玄関を出て……わたしは、それからずっと笑っていなくて、セイリングで「おなかがずんずん」のカンナにまで心配をかけてしまったんだ。ごめんね。
 笑顔で「ただいま!」っていおう。大声じゃなく、静かに、「お母さん、このごろヘンだね」っていおう。
 そう決めて、玄関を開けようとしたら……。
「あれ?」
 カギがかかってる。
 ドラッグストアで働いているお母さんは、わたしより早く帰ることが多い。遅くなるとわかっている日は、カギを持たせてくれる。今日は? わたし、何も聞いてない。
 チャイムを鳴らし、ドアに耳をつけて待っても、玄関に近づいてくる足音はなかった。
 わたしがあんなことをいったから、まさか、お母さんは家出しちゃったの?
 そう考えそうになるのを、「ちがう、ちがう」って声に出して打ち消したとき、
「ひかり!」
 後ろから呼ばれた。
 お母さんが、息を切らして立っていた。

「街に行ってたの。ケーキを買ったら予定の電車に乗り遅れて……ケーキが崩れちゃうから走れなくて。駅から、がんばって速足をしてきたんだけど……待たせてごめんね」
 お母さんが、リビングのテーブルにお皿を置いた。上には豪華なショートケーキ。誕生日でもないし、クリスマスには早すぎる。ケーキは大好き。なのに、ちっとも喜べない。
「街」というのは、となりの大きな市のことだ。なぜ、街に? このケーキを買うためじゃないよね?
「さぁ、食べよう」
 お母さんは、紅茶までいれてくれた。お客さん用の、おそろいのお皿にのせて使う、おしゃれなティーカップだ。
 お母さん、やっぱりヘンだ……。
 動けないわたしに、お母さんがいった。
「ひかり、食べないの? どうしたの?」
 どうしたのって聞きたいのは、わたしのほうだよ。
「久しぶりに街に行ったから、デパートに寄っちゃって……玄関で、長く待った?」
「待ってない。今日は、ゆっくり帰ってきたから。カンナのおなかが痛くて」
「あら、病気なの?」
「ちがうよ、セイリング」
「え……ヨット?」
「それは、セーリング」
 ヨットと腹痛にどんな関係があるの? と不思議そうなお母さんのために、わたしはテーブルに指で小さく「生理」と書いた。
「発音がちがうんだよ。セイリングなの」
 わたしの手元をじっと見つめていたお母さんは、やがて何度もうなずいた。
「なるほどね。おもしろいなぁ。ひかりたちは、そんなふうに呼ぶんだね」
 そういって、ケーキをほおばった。
 わたしはフォークで、生クリームのねじねじにいちごを押しこんだ。フォークについたクリームをなめてみる。味なんて感じない。けさまでの、暗い顔で上の空のお母さんより、今の、もりもりとケーキを口に運んでいくお母さんのほうが心配だ。
 そのとき、ふと、お母さんがいった。
「せっかくセイリングを覚えたのになぁ。お母さん、セイリングとお別れしそう」
 なに? なに? 何のこと?
「今日は街に……病院に行ってきたの。ひかりが生まれた病院だよ。わあ、もう11年も前か。お母さん、30代だったのね」
 えええ! って叫びそうになるのを、クリームと一緒に飲みこんだ。
 病院って、どういうこと? 病気なの? 重いの? 手術するの? 入院しちゃうの?
 いやな言葉ばかり浮かんでくる。頭の中でドキドキと音がする。耳の奥に心臓があるみたい。のどにはりついたクリームがすっぱい。
 でも、お母さんは笑顔になった。
 いつもの笑顔で説明してくれた。
 5年生のわたしのからだは、赤ちゃんを産めるように変わっていく。先生も黒板に「月経」と書いて、そんな話をしてくれたっけ。
 これから、大人になって。
 もっともっと、大人になって。
 お母さんくらいの年になると、赤ちゃんを産む準備は要らなくなる。セイリングが来なくなるのだ。それがいつなのかは、決まっていない。自分でもわからない。
「人によって、ちがうしね。それは、初めて来るときと似てるよね」
 からだのようすがこれまでとは変わった、良くない病気だったらどうしようって何日も悩んでいたせいで、お母さんはぼんやりしているように見えたんだ。
 病気じゃなかった。自然なことだった。そういって、お母さんがくすくす笑った。
「おかしいよね。いつかそうなるってわかってたのに、そうなったら、おろおろして」
 あれ? カンナから聞いた言葉みたい。
 そう気づいたら、わたしも笑ってしまった。
「しかたないよ。初めてのことだもん」
「そうだよね、初めてだもんね」
 よかった。お母さんが笑ってる。
 ほんとのことをいえば、わたし、お母さんの説明が全部わかったわけじゃない。
 ちゃんとわかったのは、一生のあいだにいくつも「初めて」があるらしいってことと、お母さんとわたしが仲良しだってことだけだ。
 お皿もカップも空っぽになると、突然、お母さんが身を乗り出してきた。
「ひかり。今度、海に行こうか」
「えっ、もう寒いよぉ」
「泳ぐんじゃなくて、船」
「もしかして……ヨット?」
 そこで、お母さんが明るくいった。
「そうよ、セーリング!」


(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2019年度11月号掲載)


発表媒体(対象年齢)的に毎年「恋愛系」や「第二次性徴系」の話を書いています。これは後者。いえ、そのつもりだったのですが、実は更年期の話ですよね。「お母さんの体調を知るのも大事かも」と思っていますが、主人公には正直に「全部わかったわけじゃない」といってもらいました。

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