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水のまち松代(まつしろ)
時間があったので、松代町を半日観光した。
宿の店主から、松代はいろんな見どころがあると聞いた。歴史と文化が多層に折り重なっている町らしい。
朝、宿から歩いてすぐのところにある観光案内所「まち歩きセンター」を訪ねた。松代は歴史の重要な拠点だったようで、研究された冊子が所狭しと置いてある。
たくさんある資料の中で興味を持ったのが、水についての話。
松代はいちばん下流側の千曲川近くに城があって大名が住んでいた。そこからさかのぼった上流側に、庶民が住んでいた。
庶民が生活で使った水が、いちばん下流のお堀に流れていく。珍しい場所だ。そのため、水の使い方について、いろんな決まりごとがあったらしい。
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水の流れは三つ。「泉水」、「カワ」、「セギ」。それぞれ山の上流から下流に向かって流れる川だが、用途ごとに水の扱い方が変わる。
1、カワ 町内の道路沿いの水路。
2、セギ 武家屋敷の農地の間を流れる灌漑用水路で泉水路とのつながりもみられ、松代の庭の重要な構成要素である。
3、泉水路 各戸の庭の池(泉水)と池(泉水)をつなぐ水路。泉水路の幅は約30〜40cm、深さ20〜30cm程度で、直線を基本としつつ曲がって建物を回り込んで流れる場合もある。泉水の水をきれいに保つため洗い物をした水は泉水路ではなくカワに流すなどのルールもあった。
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「泉水」は、もっともきれいな水。お屋敷の庭の池に呼びこんで、食べ物まわりの生活用水として使われる。「カワ」は洗濯や食器などの洗い物の場としていた。「セギ」は畑の中を通る農業用水。
ちなみに飲料水は、井戸が掘られていて、そこからくみ上げていた。
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木々は低く、周辺の山並みが見えるように考えられている
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江戸時代には、木や竹でできた水道管もめぐっていた。
水に向き合ってきた都市は多い。ここ松代は、下流に大名が住むため、独特の水文化が見られる。
前日に訪ねた小布施も、街の中を水路が巡っている。これも「松代用水」と呼ばれる。
松川用水は江戸時代、扇状地に密集する集落の住民達が組合をつくり松川から取水した水路(註11)であり、1960年に町全域に上水道が普及するまで灌漑・生活・防火用水として人々の暮らしを支えた。水路に取水された水は川の増水・渇水にかかわらず一定の水量を水路網に確保するために最初は多めに取水して不要な分を川に戻す「余水吐(よすいばけ)」と呼ばれる仕組みが用いられ、明治時代には町の産業を支えるため水車を動力源として水路が活用されており、水系システムが高度に発達していた。
川の上流・下流の位置関係が特殊で、独特な水文化のある町だった。