子どもは、厚いふかふかした皮の果実
わたしのカヤックスクールは、主に大人の方。
でも今年の夏はコロナの影響もあって、たくさんの子供たちが参加してくれました。
昔は、子どもは苦手でした。
今ならわかります。
自分に余裕がなかったから。
相手のことを理解しようとする態度が足りなかったから。
今はファシリテーションを学んだことを通じて、いろんなことが見えるようになってきたように思います。
子どもは、可能性がたくさんつまっている。
果物に例えると、その可能性は厚いふかふかした皮の奥にあるので、そこまでたどり着きにくいだけ。
ふかふかの皮(文旦をイメージしています)をていねいにむいていくと、果肉があらわれます。
ていねいに皮をむく必要があるので、時間がかかるし、ちょっと待ったりする必要がある。
ひと皮むけると、どの子にもみずみずしいものが必ずある。
果物にいろんなおいしさがあるように、子どもたちの能力も人それぞれ。
得意なことが違っていて、できることに気持ちを向けていくと、一見苦手に思っていたこともちょっとずつ、できるようになってくる。
小さい子ほど感じるチカラが豊かだから、カヤックを動かすコツを訊くと(たいていの子は、すぐにボートを自在に動かせるようになっちゃうのだ)、的を射た答えをする。
例えば、パドルを立てるとボートがよく進むとか、前に進むときには深く入れたほうがよくて、曲げるときには浅くするとか。
ちゃんと受け取っている。
先日、学校の先生をしている方と、いつそのキラキラが死んでしまうんだろう?という話になった。
小学校だと高学年から、小中高なら中学校から。
社会の枠にはまるように、教育されていくからなのだそうだ。
なんだかもったいないなぁ。
子どものすごさがわかってから気づいたんだけれど、おとなも子どもと一緒なのかな。
でも、皮の厚さや硬さがひとそれぞれで、柔軟なひともいれば、めちゃくちゃ硬いひともいる。
栗みたいに、何重にもなってたりもする。
おとなの皮むきは、子どもよりもちょっと工夫がいる。
コツはこちらからむこうとしないこと。
自分で皮をはがすようにヒントを与えていくと、気づけることが多いみたい。
水の上で乗るカヤックは非日常の体験なので、普段は気づけないことを見つけられる。
カヤックを教えるのって、ほんとに楽しいなぁ。
そう思った夏でした。