いじめの解決策
世の中からいじめをなくすのは困難です。
なぜなら、これは人間の性でもあるからです。
ですが、減らすことはできます。 そして、自殺をなくすこともできます。
いじめの原因は何でしょうか。
加害者か、被害者か、傍観者か、先生か、親か、環境か、社会か。
多種多様なこの問いに対する答えを断定することは非常に困難です。
そもそも、線引きの難しさ、それぞれの捉え方、認識の違いなど明確な基準がなく、更には隠蔽があり証拠不十分で風化されているのが現状です。
そして、迷宮入りする可能性が高く、本業に支障がでることもあり、関わらずにうまく接する、おおよそ妥当なところかと思われます。
気持ちが理解できないわけではありません。
しかし、当事者である被害者(ご家族を含む)の身になって考えると容易な判断はできません。
自身の子供が悲惨ないじめにあい、命に関わる事態であった場合、うまくやれますか?
私はいじめの根本原因は空気だと思っています。
『悪い事だとは分かっているけど、あの人に楯突くと怖いし、それにみんなも何もいってないからとりあえずは余計なことはせずにうまくやっておく。』
ほぼほぼ、これかと思います。
そして、いじめの構造はこうです。
被害者
加害者
仲裁者
観衆者(加害者より)
傍観者(仲裁者より)
見落としがちなのが、観衆者という加害者よりの人と傍観者という仲裁者よりの人です。
そして、仲裁者は事実上いません。
加害者がいけないのは当然のことですが、それを目の前にただ見てるだけという人に対して、ぼくは賛同することはできません。
なぜなら、空気をつくるのはいつもそういった大勢のグループだからです。
ここで言う、観衆者と傍観者にあたります。
僕ならこうします。
クラス全員で、先生も含めて、”いじめ”に対して議論をさせる。その中で、観衆者と傍観者に特に着眼する。
観衆者は結局のところ加害者になりきれない、本当は良くないとわかってる少しの部分がバイアスになりそのポジションに位置しているのだと思います。
傍観者は良くないことだと分かってはいるが、その後のことを考えて一歩踏み出しにくいのだと思います。
これは、学校職員内、或いは皆さんの会社においても感じる部分があると思います。
つまり、多数派という者が空気をつくりやすい傾向性質をもっているのです。
逆に言うと、職場やクラスにおいて観衆者と傍観者が勇気をもつことで多数派をつくり、空気を変えることができます。
ただ、誤解してはならないことがあります。
これは加害者を許さない、大勢で罰する、そうゆう話ではありません。
一人一人が間違った判断を選択してはならない、 事の本質を理解しないで判断すべきではない、 誰にどこに相談すべきかを理解する
これらが目的です。
みなさんの学校に、倫理や道徳の授業はありましたか?
私の学校にはあり、それもあってか、根本的にいじめは絶対に駄目だと根付いてました。
いまの世の中はギガ構想とか金融リテラシーとか、そういった事に積極的ですが、人間性という事に対して、あまりにも関心がなさすぎると思います。
倫理観のある人だから、あらゆる手段を正しく使いこなせるわけで、いじめ関係なくこれらの授業を取り入れるべきです。
子供達のために、大人達のために、決して目を背けてはなりません。
勝負に勝った者が正しく、負けた者が間違い、これは加害者の気持ちとあまり変わらないのです。
こんな単純な答えならば、人間誰も争いなど起こしません。
答えを探すのではなく、探し続けることをしてください。
現在取り組んでいる"旭川市女子中学生いじめ凍死事件"が、このきっかけとなるよう、これからも尽力します。
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