ショートストーリー①
ある雨あがり
夏の終わりの夜………
私はいつものように彼女の相談に乗っていた、仕事を早めに切り上げて。神田須田町のissaという喫茶店で晩飯がてら話を聞いていた。そうしてその晩の一通りの話を聞き終え、私は帰ろうと思って店を出た。初夏、薄着、幸薄の彼女。思わず考えてはいけない欲情が私の心に宿る。神田駅に向う一番街商店街の道すがら、どうすればいいのだろうか、と私は考えていたが理性を働かせなければならない、そう思っていた。しかし仕事で嫌な事があった事もあり、また、ずっと彼女の話を聞くだけでどうする事も出来ない頼りない私。私に出来る事と言えば、せいぜい身に付けた俄かカウンセリングと心理学だけで、どう対処すればいいのか本当の所は判らない。
否………
それよりも何よりも私を苦しめるのは、この中途半端な自分自身の立ち位置。どうにかしたい、この中途半端な自分自身から脱却したい、そう思っていた。けれども相手は人妻、しかも友人の妻。私には本来無関係の人物。その人物がどうして私のような輩に信頼を寄せるのか、皆目見当がつかないのだが、もうこうして話を聞き始めてから半年以上経つ。恐らく夫たる私の友人の紹介には違いないのだろうが………
私だって自分の恋人と別れてからもう一年近く経っていた。しかし次の恋人など作れない。それは彼ら夫婦のせいでは無く、私自身の仕事が余りにも忙しい事と、主任になってからこの方、部屋に戻って自分の好きな映画を見る事すら忘れてしまう位に仕事で埋め尽くされていた。しかしながら残るのは胸のうちに秘めた虚無感、この虚無感はどうしたら埋め尽くされるのだろうか?そんな惑いの気持ちが彼女に写ったらしい。
「どうしたの?浮かない顔して?」
「うん?あっ、まぁなぁ」
曖昧な返事しか出来ない私、しかし心の中はもう嵐が吹き荒れている。今すぐ彼女を抱きたい、そうして自分自身のモノにしてしまいたい、それは決して許される事では無い事は百も承知だけれども、今こうして中途半端な自分で居るより責め苦は甘んじて受ける。だから………
「どうしちゃったのよ?今日はいつもと違って何だか様子が変よ?」
「いや、ちょっとな」
そう呟いた瞬間、彼女の方から私の掌を握って来た。一瞬驚いて彼女の方を見ると、
「手、冷たいね、身体の調子でも悪いん?」
と、何事も無いように聞いて来た。明るい表情で。しかしその瞳の奥に写るのは、心の病を持った人独特のあの、何とも言えないどんよりとした瞳である。これは私も会社の人間に言われた事がある。安定剤を飲んだ後の人の目というのは、何とも言えないような、どんよりとした瞳になるらしい。これがそうか、私はそう思うともう心の波止めは利かないでいた。そうして思わずぎゅっと力強く彼女の掌を握り締めた。すると無言のまま握り返してくる彼女。彼女を見ると何だか余計に照れ臭そうな表情をしている。もう子供と呼ばれるような歳でもあるまいし、そんな童女のような表情をされたら私は困る。困るのは困るが………嬉しい。私は思わず、
「どっか、行くか?」
無言で首を縦に振る彼女。私達はJR神田では無しに、銀座線神田駅のホームに気付くと立っていた。そうしてそのまま上野広小路で下車し春日通り沿いにあるドンキホーテでYシャツと下着類を買い、そのまま湯島に向った。