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中途半端にできてしまうことは適当になりやすい。

生きるというのは案外なんとなくできてしまうものだ。なんとなくでも生きられる仕組みや経済が整っているという証拠でもある。

最近は政治のことで国に対してのアレコレが激しいけれど、それでもまだとりあえずこだわりさえしなければ屋根の下で食いっぱぐれることなく暮らしていける環境がある。ありがたい。

だからこそ意外と「自分はどういう時にしあわせと感じるのだろう」ということが盲点だったりする。

僕はギターや歌をはじめてからしばらくの間、チヤホヤされてあまり苦労せずに人に褒められてしまったがゆえに、「どうすれば上手くなるんだろう」ということについて考えなかった。その結果あとあとになって基礎の大切さを思い知らさせることになったのだ。

中途半端にできてしまうことは適当になりやすい。

そして僕はおそらく「ちいさなしあわせを感じる」ことが苦手なのだと思う。

青い鳥を探して旅をして帰ってきたら家にいました。みたいなことが真理なのだろうなとは思っているのだけれど、旅に出たからこそ家にいたことに気づけたはずだから、いつか帰る時が来るのを楽しみにしながら今は精一杯旅をしようと決めている。

僕がしあわせを感じる時は、理解されなかった気持ちを汲み取ってもらえた時や、素直になれない時に輪に入れてもらえた時。

同じものを好きだと言ってくれた時。だれかに必要としてもらえた時だ。

そして、


誰かの気持ちを汲み取ることができた時、素直になれるきっかけを与えられた時、すごくマニアックな話題に共感できた時、頼った後にありがとうを感じられた時。

そう、僕がしてもらえて嬉しかったことを誰かにできた時にしあわせだと感じるようなのだ。

僕らがうれしいとか、かなしいとか、しあわせとか、不幸だとか感じることの根本には、同じ感情や出来事が眠っているのだと思う。

そういう気づきのような道を1つずつ見つけていくと、我が家につながっているのだろうなあ。

ただいまと言えるように、今は旅を一生懸命にやりたいと思う。


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後藤大
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