ハードルを上げてしまう癖がついてしまった
ガシャン!と音を立てたのは僕が倒したハードルだった。
100m走に障害物が追加されたことを「柿の種にピーナッツが混ざったぐらいのもん」だとなめてかかったのが間違いで、乳酸は予想外のスピードで脚に溜まっていった
まず柿ピーのことをなめていた。柿の種だけでも十分にうまい。もともと柿の種自体ソロで人気があったのだ。
ピーナッツ単体ではそんなに目立った美味しさはないが柿の種とタッグを組むことで互いを引き立て合い最高のハーモニーを生み出す。
それはまるで「19(ジューク)」のようだ。19とは青春時代にはまっていた二人組の音楽ユニットで岡平健治が柿の種、岩瀬敬語がピーナッツ。ソロになってからのCDも何枚か持っているけれどやはり「柿ピーとしての19」が最高だったなと思う。
あの時僕は「柿の種にピーナッツが混ざっただと!?まずい、本気で挑まねば…!」と気づかねばならなかったのだ。
倒してしまうなら高さを下げればいい。誰が考えても分かりそうなものだ。だけど心のことになると途端に下げられなくなるのはどうしてだろうか。
うまくいかないことがあると「できる高さに調節しよう」ではなく「もっとできるようにならないと!」と逆にハードルを上げてしまう癖がついてしまった。かと言ってジャンプ台を使う機転も融通もきかない。
そうすると次も跳べないのは当たり前でやがてくぐり抜けられるようになってしまう。全て分かったような顔で冷めているのはこういうときだ。
幸せをつかむには喜びや肯定のハードルを下げること。
理想を100cmに決めたならまず45cm飛べるようになろう。なれてきたら60cm、75cm…そうやって少しずつクリアしていくと自己嫌悪も少なくなる。
その後改めて100cmを跳んでみると「あれ?こんなに低かったけ?」と思うだろう。「できることのハードル」を下げる一見遠回りに思えることは、やがて「目標のハードル」を下げることになるのだ。
今僕はハイクオリティー、フルアレンジで作品を月に何本も作れるようになりたいと思っている。だけど実際は1コーラス作るのにも数日かかる。
結果も出ず、不甲斐く、悔しい気持ちに襲われそうになるけど、だからこそできることを積み上げていこうと思う。
焦ってはいけない、急ぐのだ。
こなしてはいけない、丁寧にやるのだ。
[この記事の元になったツイート☺︎]
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