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僕らは人の時間を買っている

「いついつ空いてる?」「いま時間ある?」というなんの用事かわからない連絡が苦手だ。予告もなくかかってくる電話は苦手を通り越して嫌いだ。

時間の価値というのはものごとや相手によって変わるものだから、空いてるか、時間があるかは内容次第で答えが違う。

そういう時はちゃんと「内容によります!」と返事をするようにしている。

話をOKした時点で責任は自分にあると考えないと無限に人への不満を貯めて不幸になるからだ。

逆に僕が誰かの時間を奪っていることもあるのだろうと思って、時間を奪うことについて考えてみた。


電話が嫌いなのはそもそも緊張するからという理由もあるのだけれど、自分の時間を過ごしているところに割って入ってこられるのがたまらなく嫌なのだ。

例えば今noteを書いている最中にかかってきたら書くこと自体も止まるし、せっかくできていた集中もどこかへ行ってしまう。

noteを書くという現在の時間も、集中が切れその後の時間も効率が下がることで間接的になくなってしまうのだ。


ちょっと調べれば分かるようなことを全く調べずに質問されるのも好きではない。イベントに誘ってもらう時にすでに公開している予定の日に出演できるか聞かれた時は少し残念な気持ちになったりもする。

「この程度なら聞けばいいだろう」というのが案外相手にとって手間や不信に変わるものなのだろう。「この程度」と思うのなら自分で調べるべきである。

悪口ばっかりの集まりとか、生産性のない暗いミーティングとか、悪ノリの飲み会とかそういうのも全部人の時間を奪う行為だということを忘れないようにしたい。


では逆に時間を奪われない、むしろもらったと感じる時はどんな時だろうか。

これは単純な話だけど究極で、片思いの人からの電話は何をしている時でも最高に嬉しいはずだ。noteなんて後に回して2時間でも3時間でも明日が寝不足になっても電話に出るだろう。

今度有名なバンドが来るけどそのライブに出ない?みたいなありがたいお誘いの連絡や、これからの建設的な話題ならむしろ感謝感謝だ。


僕らは人の時間を買っている。

時間を使って得したな、よかったな、と思ってもらえるものを返せたらいい。つまり等価交換、時間は経済のような考え方ができるだろう。

逆に自分が与えるものよりも相手のマイナスが大きければ時間泥棒になってしまう。調べれば分かることを聞いたり、生産性を落とすような余計なプレッシャーを与えて無駄な時間を使わせることも相手に損をさせている。

時間を買うとき、自分の時間は相手の時間と等価ではない。円安になったり円高になったりするみたいに状況によってお互いの時の価値は変化するのだ。

そして支出を減らせば所得を増やせるように、相手の損を少なくすることでこちらも予算に限界があっても喜んでもらえるパーセンテージを上げることができる。


そんな風に考えたら誰かと時間を過ごす時に考えることはまだまだあるし、割に合わないなと思ったら断ることもできる。

僕らは意外と損得で動いている。気持ちも含め損得で。

それは全然いやらしいことではない。むしろちゃんと考えられる方が誠実になれるような気がする。

「君に時間を使ってよかったよ」と言ってもらえる人になりたいなあ。


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後藤大
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