超サイヤ人と界王拳に学ぶ等身大
ドラゴンボールで一番好きなシーンはあの極悪非道だったベジータが家族と地球のために命を捨てて魔人ブウを倒そうとするところだ。
一番好きなシリーズは「私の戦闘力は53万です」や「クリリンのことかーー!!!!」で有名なナメック星編。見たことがない人も男子がこの台詞でゲラゲラ笑っているのを見たことがあるのではないだろうか。
だけど感動やワクワクとは違った意味で好きな箇所がもう一つある。
セルを倒すために修行をするシーン、無茶なパワーアップではなく超サイヤ人の状態が通常であるように持っていく描写がある。
簡単に言うと変身してパワーアップした状態を普通にしておくということだ。
無理するのではなくてレベルアップした自分を通常の状態に持ってくればいいのではないかという考えが僕にはある。
我慢して面白くない話に合わせるのは嫌で仕方がない。それならどんな話も面白く変えられる自分になればいい。という感じに。
なぜその場面が好きなのか改めて考えてみると、そういう理想に似ているんだなあと思った。
界王拳も好きだ。
これは見た目が好きなののもある。自分の力を10倍や20倍にする代わりに体に大きな負担がかかる技。だけど強くなるにつれて負担に耐えられるようになってくる。
感動をより感動に見せないと飽きられてしまうんじゃないかと不安を抱えていた僕は、ライブ中に話すことや誰かの作品を見て思うことに界王拳をかけて本来より大きく演出していた。
その時はいい反応をもらえても、エネルギーはずっとは続かなくて負担に耐えきれず素に戻ってやめてしまう。
格好つけたり、見栄を張ったり、綺麗に見せたりすることは長い目で見て結果的に嘘や裏切りになってしまうのだ。
それなら格好悪くても、いい人じゃなくても、平凡でも、思ったことを思ったまま素直に出していく方が誠実で良いのではないだろうか。
頑張っているのに信用されない人は、キャパ以上の目標を設定しすぎなのかもしれない。
誇張せず、謙遜もせずそのまま等身大で。きっとこれが一番なのだろう。
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