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ドサクサ日記 12/2-8 2024

2日。
48歳になった。あざとく誕生日アピールをしてみたところ、MIFのクラファンが目標額達成。感動した。友人に「悲壮感ではなく、素敵なことをしてるんだから、楽しそうにやって」と言われて、ハッと我に帰ったタイミングがあった。責務にしてしまっては辛い。俺は背負い込み癖がある。そういう悪癖を見越して、俺を朗らかにさせようと、支援してくれた人もあっただろう。感謝の気持ちでいっぱい。

3日。
友人が「万引き」で燃えていた。現行の価値観で切れば当然だと言える。万引き=窃盗で廃業にまで追い込まれる商店があることを考えずにはいられない。窃盗はまったく擁護できない。その上で文化の話をすると、ただのコピーに数千円もの値をつけて「キッズたちが聴けないじゃないか」という、レコードしか手段のなかった時代のレコード産業への憤りを想像する。中古プレミア盤はミュージシャンに一銭も入らない。希少性が価格の高騰につながるのは、資本主義のど真ん中と言える。蒐集(コレクション)は資本主義の生みの親。多くのポップミュージックは、キッズのためにあった。もちろん、キッズもミュージシャンも成熟していく。楽しむ大人を否定しているのではない。誰が楽しんだっていい。しかし、持たざる者をどう考えるのか。少なくとも、パンクロックは無一文のキッズに対して「金がないなら帰れ」とは言わない。大人たちは、自分がキッズだった頃のことを胸に抱えて、自分が産業の側に立ったときも、行為や眼差しについて考え続けるべきだと思う。レコード屋も音楽仲間で、絶滅危惧種みたいなレコードやCDやカセットテープというメディアと文化を一緒に守っている。現在地から眺めれば「糞!」だが、彼の人間としての複雑さを反射的な短文で切っても虚しい。レンタルCD(死語)のことを思い出す。借りられた実数がミュージシャンに還元されなかった仕組みは怠慢と呼ぶしかないが(レジでカウントできない?)、レンタル屋がCDを買い取ることで産業も作り手も潤って、多くの人に安価に音楽を届けたという意味では、おおらかな時代だったとも言える。CD-Rにコピーして、自家製の海賊盤が一丁上がり。欧米の人からしたら、ふざけんな!ということで、洋楽は発売から1年間レンタル禁止になったのを鮮明に覚えている。後藤少年はひどくがっかりした。洋楽に詳しくなかったけれど、素朴に、ケチ!と思った。権利の話は難しい。そもそも引用と模倣の文化なのに著作権って少し欲が深くない?とも思うけれど、なかったらミュージシャンとしてはしんどい。社会の貧しさに目を背けて、互いに言葉を撃ち合うのは辛いだけ。キッズのために大人たちが為すべきことに話題を置き替えたい。

4日。
仙台GIGS。相変わらずヌッキーの度を超えたもてなしによって、楽屋裏でセリ鍋が煮えていた。夕方にはスタッフによって手打ち蕎麦が提供された。出汁に大根の汁が混ざっていて、胃に優しい。本番後は楽屋奥の飲食エリアに煙が充満していた。炭火でいろいろなものを焼けるライブハウスが他にあるだろうか。ストーブではもつ鍋が煮えていた。PAや楽器まわりのスタッフと楽しく食べた。良い夜。

写真:山川哲矢

5日。
過去のセッションファイルを開いたら、DSPのプラグインにバグが起きていて驚いた。一時的に大幅にメモリを消費していたらしい。いくつかのアプリケーションも古いものが壊れていたので修復。あるいはバージョンアップで出費。Macの買い替えは本当に大変。計算速度はどんどん上がっている。AIや暗号資産も考えれば、社会的な計算量も膨れ上がる一途。そのカロリーを電力で賄う。そりゃ暑いわけだ。

6日。
藤原辰史さんとの共著が発売になった。ここ数年、京都大学に通ったり、フィールドワークに出かけたり、僕のスタジオに来てもらったりしながら、対話を重ねてきた。学者とミュージシャン。俺は在野というか、ヴォネガットの言葉を借りるなら真水育ちで、教養というものには縁が遠い。けれども、自分が社会の一員であることからは一瞬も退くことができず、藤原さんと同じ地平の、別のポイントに立っていると言える。お互いの場所から見えていることを互いに打ち明けあって、話し合った。特に時代や社会に対する特効薬みたいな言葉は発見されず、悶々としたまま、やらなければいけないことだらけだと解散した。そういう対話の過程の記録だけれど、読み返して、自分でも面白いと感じた。発したそばから、自分の言葉も贈り物として受け取ることができる。それが読むことの素晴らしさ。書店で是非。

7日。
藤枝公演。序盤は妙な緊張感があった。Music Inn FujiedaもAVMSも地域に受け入れてもらうための活動をしている最中で、我が物顔で言えることはひとつもないが、愛着は日々増しているので、親密な言葉を送りたい。でも、親密さというのは難しい。裏返せば、いつでもドレスコードになって、誰かを拒みもする。ただの甘えに姿を変えることもある。いつでも真っ新な敬意を持っていたいなと思う。

8日。
2日間、とてもいい夜だった。進学もままならず、東京の片隅で新聞配達をしているときに、雷に打たれたような体験をして、俺は音楽に夢中になった。と、同時に、自分はリアム・ギャラガーにはなれないのだと理解した。俺の喉からはあんなに格好いい「Maybe」は一生出ない。少しばかりWonder Wallを練習して、そのまま曲を作り出したのだから、どうかしているとも言える。ただ、oasisの曲を一生練習しても、俺はoasisになれないし、この電撃的な体験を昇華する術にはならないのだなと直感した。実家の近くで演奏したわけだけど、随分遠くまできたなと思う。そして案外、自分らしく立ってるなと、その美醜については将来の誰かの批評に任せつつ、妙に納得するところがある。幸せかどうかは自分で決めるしかない。ボディはひとつ。魂は何度も息を吹き返す。「Not Bad.」だよ人生は。


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Masafumi Gotoh
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