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ドサクサ日記 8/12-18 2024

12日。
リハーサル。世の中は3連休かつお盆に突入。夏休みの人が多いことだろう。ステージを中心に活動する我々のようなミュージシャンにとっては出稼ぎシーズンということで、休みがほとんどない。今年はフェスで大忙しというわけではなく、BUNTAIで行う感謝祭の準備。「リクエストを募るのはこれで最後にしよう」。10年前も同じことを言っていたらしい。人間は成長しないのかもしれない。悲しい。

13日。
リクエストによって俺の喉を締め上げるサディスティックな選曲が為されているが、基本的に自分たちが作った曲なのでそれなりに好きな部分がある。ギャーという感じで歌わなければいけない一瞬が、一瞬しんどいだけで、基本的には楽しい時間の連続、それがバンドによる合奏なのだ。まあ、地獄のような時期も乗り越えて、やっと楽しくなってきたというのもある。続けてみるもんだねと思う。

14日。
ビュッフェで食事をした。ビュッフェというのは人間の欲望とか癖とか、様々な性質が食を介して露わになる場所ではないかと思う。俺はいつも「ビュッフェ負け」してしまう。料金ほど食べられないからだ。もっともコスパが良さそうなローストビーフの列に何度も並んだって良いのだけど、なんだか意地汚いような気がするので止す。結局、生野菜とフライドポテトとカレーで直ぐに満腹になってしまう。

15日。
仕事に没頭できる時代を生きられて幸せだなと、特に、この8月15日には考える。それは先人たちのおかげであることは間違いない。だからといって戦争は賛美できない。失われるべきでなかった命について考えたい。前線で亡くなった兵士たちを思い、彼らの帰りを待った人たちのことを思う。そこかしこに存在した不条理を、この先に誰も経験しないほうがいいに決まっている。過去を美しいと思ってしまうメカニズムを上手に使わなかったら、俺らはいつだって様々な自己嫌悪に塗れて、その場にへたり込む以外になくなってしまう。しかし、それを歴史に適用するのは危うい。無数の人生を否定するでもなく、将来に、過去の人たちが避けられなかった戦争を、どうやったら避けられるのか考えたい。誰も殺さずに、誰も殺されずに、誰の頭上にも爆弾や焼夷弾が落とされない、将来を、現在を望み続けたい。

16日。
抱樸の奥田知志さんといろいろ話した。敵とは何か。ここ数年は、自分のやってきたことはどうだったのか、考え込みながら活動をしている。音楽は、鮮やかに、あれもこれも違う私たちを踊らせたり、解放したりする。心理的なボーダーや、細胞膜みたいな物理的なボーダーも越えてくる。ある種の政治的な立場だって、ビートやメロディの前では溶けてしまう。そういう力は素敵だと思う。音楽と社会は切り離せないけれど、「音楽に政治を持ち込むな」という言葉は、ある角度からは正しいのではないかと思っている。あらゆる政治的な立場を越えて、私たちが一瞬でも分かち合う可能性があるのだということを、音楽は言語とは違うところで見せてくれる。けれども、俺はときどき分断の最先端に立って、イデオロギー的な正しさに塗れて、身動きが取れなくなる。本当は、そうした正しさを解体するために、鳴らしたい。ただ「音楽に政治を持ち込むな」という言葉には、俺が書いていることとは別の、ものすごい政治性が込められている。そうした政治性すら、一瞬でも溶かしてしまうくらいの力と可能性が音楽にはあるのだということを、なんとか証明したいと思う。悲しいくらい、何もかも違う私たち。でも、どうしたって一緒に生きてゆかねばならない。そういうことを、無言で包むような表現を志したいと思う。

https://note.com/gotch_akg/n/n16ea55b4e768

17日。
地域コミュニティーの面白い話を方々で聞いてまわっているのだけれど、どれもこれも楽しくて興味深い。しかしながら、一般化できることがほとんどなくて、再現性もあまりない。例えば、リノベーションにしても一軒一軒形状も状況も違う。その後に運営する人も違う。同じくらいいい場所やモノを作りたいみたいな気持ちくらいしか真似できない。思っているより属人的。本来はそういうものだと思う。

18日。
菊地成孔さんのポストを読んで感銘を受ける。ガチッと鵜呑みにする言語能力はないが、それゆえに穿った視点が自分にはあり、だからこそなるほどと腑に落ちて、勝手な角度から考え込んでいる。演奏技術という権威的な視点から見れば、俺は二進も三進も行かない未開の何かだ。楽器演奏という分野にも大谷的な、イチロー的な天才性と身体性があって、誰しもが努力で克服できたりはしない。そういう視点から自分を眺めると、あらゆる座標軸の数値において凡庸かそれ以下、どうせなら破滅的にできないほうが個性的、みたいな方向から眺めてもどうにもならない感じで、考えただけで絶望してしまう。そうか、それは人の作ったルールの上でやってるからだと、スケールも楽器も全部無視して、録音という種類の技術も放棄して、真っ新な個性として虚空に解放したところで、文字数が尽きるみたいな、人生。