ドサクサ日記 1/1-1/5 2025
1日。
元旦は朝から酒を飲んでも誰にも咎められない日。ということで、白ワインを飲み、年末に届くはずが届かず遅れに遅れてなんとか受け取れたオードブルをつつき、麦酒と赤ワインを飲み、雑煮を食べ、ソファで爆睡したのちに水餃子を食べるなどして、久々に怠惰という贅沢を貪った。合間にアンビエント/ドローン音源のミックスも行った。京都の砂利浜の石の音。寄せては返す波も、場所や水が打つ材(石や砂)によって音が変わる。自宅にはマイクがないので、どこで録ったのか忘れてしまった環境音をループさせた。そして音階を意識せずにふたつのサイン波をオルガンのように敷いて、即興でサイン波のSweepを作った。アンビエントというよりは、テクスチャー・ミュージックだと思う。その人の考えや好み、ひいては人生などが感触として現れる音楽。こういう音楽も真剣に聞くと発見がある。
2日。
付き添いで病人を休日診療に送り、いろいろあって救急医療に連れて行き、席を外せずに腹ペコのまま夕方を迎えた。診療所は正月から健康を損なってしまった人でごった返していて、泣いている子供や項垂れている人々を見るのが辛かった。救急医療のセンターでは、急遽入院が決まった老人の家族が荷物の算段について話し合っていた。誰の介抱もなくぐったりとしている学生らしき人たちもいた。病人それぞれの不幸を想像しつつ、正月から患者たちのケアを行う医療関係者の存在を有難いと感じた。半端ない忙しさから、一瞬の殺伐が立ち上がる場面もあるだろうけれど、医療人たちは温厚で親切だった。ケアされる側には、いくらかの焦りがある。そうした感情の荒波に接したときに、自分は凪のように振る舞えるだろうか。大変なことだ。俺は卑しくも「ここで病気をもらいたくないな」と考えていた。
3日。
神社に御神籤を引にいく。というか、お参りはほぼ不可能な人出で、それくらいしか選択肢がなかった。結果は中吉。難はあるけれども願いは叶い、助けてくれる人があるだろう、とのことだった。「迷わず行けよ、行けばわかるさ」というアントニオ猪木的なメッセージと受け取った。数分歩いて、地蔵尊と別の閑散とした神社にお参り。神社や地蔵も推しとかあるんだろうか。社務所も簡素で格差を感じた。
4日。
別の神社も気になって、少し山を登ったあたりの神社に参詣。静かでよかった。人出だけでなく水盤に滴り落ちる水の量も少なく、そうなると溜まった水も獣の糞とかが混じってたらどうしよう、みたいな気持ちになって、口を濯ぐ心がみるみると澱んでしまった。作法みたいなものが、ネット時代の到来によって広がったけれども、昔はこの水盤が何のためにあるのかもよくわからず、神様に感謝することもなく、「失くした財布が見つかりますように」とか一方的な願いをぶつけていた。罰当たりなことだったのかもしれない。古には静かなアニミズム的な畏怖や感謝と祈りだけがあり、いつから邪な庶民的願望の宛先になったのか、その流れには詳しくない。参拝のあとで、ふと、墓参りに行かねばと思った。帰りは知らない道を歩いた。沢のような水の流れの脇の獣道にも近い側道を通って、知らない町に出た。
5日。
仕事初め。歌詞と仮歌。やらねばならぬことが積み上がって忙しい。仲間たちや知り合いが出かけているロキソニが楽しそうだなとか羨ましく思いながら、洋楽を無為に有り難がる時代は終わったなとも思う。もちろん出演している人たちは超一流。けれども、この複雑な世界の有り様を思うと、英語圏だけが「世界」だとは思えない。とはいえ、weezerのセットリストを見て「ぬぐぉー!」と声が出る俺もいる。現場に行ったら全身全霊で楽しんだことだろう。うっかり潔のカレーも食べたかもしれない。何もかもをAIが生成してくれる時代になったが、結局のところ、世界の何に用があるのかは、自分で決める以外にない。そんなことは自分では決められないかもしれない、という可能性も抱えながら、頭を捻って、歩んでいくしかない。誰かを腐しても、レベルアップすることのない魂と身体。肝に銘じて。
2025年、10の抱負
・Music Inn Fujiedaの竣工
・NANO MUGEN FES.の成功
・健康な身体(健康診断へ行く)
・アンガーマネジメント
・インターネットを控えめにして読書
・合気道のお稽古の再開
・MAKUAKEという大名曲の完成と発表
・ソロのバンドの再始動
・ピアノの練習
・ミシマガジンの連載を頑張る