ドサクサ日記 1/31~2/6 2022
31日。
ミックスチェック。そして曲間の決定。アルバムの準備がズンズンと進んでいる。LPのリリースは工場の生産ラインの確保が難しい時代になった。世界的にレコードの需要が増えていることが要因だと聞く。配信よりLPの生産が遅れるのはそれがモノである以上当然のことだと思う。週替わりのプレイリストではなく、誰かのレコード棚にじっくりと収まる日を思えば、少しの遅延も趣のひとつ。
2月1日
Spotifyのことについていろいろ考えている。信念を貫くニール・ヤングやジョニ・ミッチェルの行動力は素晴らしいと思う。「私たちはどうするべきか」と若いアーティストが言う。世界中の多くの人が自分の音楽を聴くかもしれない可能性を自らドブに捨てて、潔癖さを貫くのは難しい。私たちは毛穴のひとつほどの大きさもなく、大企業にとっては屁のようなものだ。かと言って、何が不正義であるかを問うのをやめるわけにはいかない。他の配信サービスに比べてSpotifyのロイヤリティーの支払額が低いのはどの記事にも書いてある。アプリケーションは使いやすいが、現在は音質が他のサービスよりも良いとは言えない。CEOは大富豪。最近は、音楽よりも音声コンテンツにビジネス的な勝機を見出しているようにも映る。優れた話芸のほうが、日本のみならず世界的に需要があるのかもしれない。
2日。
「潔癖さを貫け」と言うのは簡単だ。ただ、毛穴から抜け落ちて生気を失うのは、それを遠くから眺めて責めたてる誰かではなく、潔癖さを貫いた誰かだ。ニール・ヤングくらいの収益と蓄えがあるならば平気かもしれない(もちろん、彼への批判ではない)。Bandcampと手売りの作品に引き上げて活動してゆくのが理想だと言える。ビジネスのサイズを身の丈にまで縮小することで、アートにとっての潔癖さは保たれる。けれども、この作品を誰かに評価してほしいという欲望を見過ごすことができるだろうか。機会の損失こそが、もっとも恐ろしいことだ。良心を撃ち殺してしまえればどんなに楽だろう。矛盾を孕まない生活はほとんどない。今日も殺した生き物の肉を食う。社会と縁を切り、理想郷をどこかに作っても僕たちは逃げきれない。理想郷の外では、今とほとんど変わらない日々が続く。
3日。
他人にどう思われているか、ということが僕らを苦しめる。そんなことは気にせずに堂々と生きたいが、誰かに中指を立てられたり陰口を叩かれたりして平気な人はいないだろう。本当は、誰しもそんなに他人に興味がなくて、本気で近しくもない誰かを呪ったりすることなんて稀だ。しかし、全方位に俺は俺だと居直るのも、なんだか違うような気もする。誰とも関係のない人生なんて存在しない。
4日。Avidに支払い。ProToolsの問題は、とにかくお金がかかるところではないかと思う。DAWも廉価なものが他にあり、VSTのほうが面白いプラグインが多い。商用スタジオで作業しなければ、CubaseでもLogicでもAbleton Liveでもいい。むしろできることが増えたりするだろう。録音とそのテイク管理の優位性、セッションファイルの共有と互換のために払う額として妥当かどうか。悩ましい。
5日。
北風小僧の寒太郎。散歩中にふいに口ずさんでしまった。合いの手の「勘太郎〜!」というところも自分で歌うと身体が少し温まるような気がする。誰かとすれ違うことを考えると恥ずかしいような気もするが、ガチンコで自作の楽曲を熱唱するよりはいい。そして何より、この歌を口ずさむと冬も悪くないなぁという気分になる。「冬でござんす」、そう言われたら寒いのも仕方がない。
6日。
久々に何の締め切りにも追われない日曜は平和そのもの。インスタントの味噌煮込み饂飩とライスを食べても、すべてがいつもよりいくらか優雅な気がする。仕事がなければないで寂しい。それによって収入が減れば、暮らしも気持ちも貧しくなると思う。しかし、些細な喜びを喜びとして味わえるような余裕がなければ同じこと。本日は八丁味噌を発明した人を表彰したい気持ちでフィニッシュ。幸福。