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わきまえていないのは #4-2

 音楽4団体(日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、コンサートプロモーターズ協会、日本音楽出版社協会)による共同声明文が出ました。

 本文中にあるように、コンサートなどの公演の現場で様々な対策が行われてきたことを、当事者のひとりとして実感します。観客たちの努力も目の当たりにしてきました。

2020年5月の最初の緊急事態宣言の解除以降、1年近くにわたり、私共団体会員社のコンサートや演劇、ミュージカル等の公演会場からのクラスター発生は報告されていません。制限下での公演開催にあたっては、政府関係当局の対処方針に則り、ガイドラインを策定し、徹底的に感染症対策を行ってまいりました。お客さまにもご理解をお願いし、入場時の検温および手指消毒、終始マスク着用を徹底、公演中に歓声や声援などの声を発することもなく、お客さま同士の距離も保つなど、感染拡大予防にご協力いただいてきました。会場内だけでなく、会場周辺において混雑の生じない余裕を持った入場と規制退場、あわせて会場までの直行直帰にもご協力いただきました。

お客さまのご協力のもと対策を徹底することで、感染者報告ゼロのエビデンスを積み重ね、ライブやコンサートの公演会場は決して感染リスクの高い場所ではないことを実績によって示してまいりました。

音楽4団体による「緊急事態宣言の延長に際しての声明文」より

 そして、以下に引用した文章にある通り、他の業種と比較したり、ましてや貶める意図などなく、多くの人たちが疲弊していることも事実です。窮状を知ってもらいたいという目的が、この声明文にはあると思います。

一方、昨年以降、コンサートや演劇、ミュージカル等の中止や延期が相次いだこと、収容人数の制限が続いたことで、ライブエンタテイメント産業は大きな打撃を受けています。2020年の市場規模は前年比8割減となり、アーティストや実演家だけでなく、文化施設や、公演に従事する方々の生活も危機に直面しています。ご存知のように、表現という人間の生み出す創造は余人を持って代えることのできない生業です。一人ひとりがその文化創造に携わり支え続ける誇りを持ってやってきておりますが、残念ながら精神的にも限界が来ています。

音楽4団体による「緊急事態宣言の延長に際しての声明文」より

 全国興行生活衛生同業組合連合会の声明文からも引用します(全文はリンクをお読みください)。

現在の東京都の緊急事態措置を例にとれば、施設規模に応じて休業等を要請する施設として「映画館・プラネタリウム等」、無観客開催を要請する施設として「劇場、観覧場、演芸場等」が挙げられています。

これらの休業要請および無観客開催の要請は、上記の実績を考慮に入れていないことは明白であり、施設内での感染リスクに対してではなく、「人流の抑制」に焦点をあてていると推察しております。

しかしながら、こと映画館の場合、作品の鑑賞を希望されるお客様が、緊急事態宣言対象外の近県の映画館に移動されることは、むしろ「人流の増加」につながる可能性さえあり、我々の経営基盤をゆるがすのみでなく、「人流の抑制」政策に合致しないことは容易に想定されるところです。実際上、今回の緊急事態宣言中の緊急事態宣言下の都府県の近隣では大幅な動員の上昇が見られるところです。

「全国興行生活衛生同業組合連合会 声明全文」より

 こちらでは状況の説明に加えて、人の流れを抑制するための緊急事態宣言なのに効果が薄いのではないかということが指摘されています。

 この点が自分のかかえる割り切れなさやモヤモヤの正体です。これまでの実績は多くの人の努力の賜物ですが、変異株の流行などを考えると、「自分たちの活動が今後の感染拡大に一役買ってしまうのではないか」という不安を完全には拭えないでいます。

 そんななか、スペインやイギリスで行われたコンサートにおける新型コロナに関する実験のニュースを読んで、少し明るい気持ちを取り戻しました。もちろん、日本との条件の違いについては、よく考えるべきだと思います。

 引き続き、不安と怒りで引き裂かれています。無力感もあります。「そんな場当たり的な政府の対策で多くの仲間の生活が壊されてたまるか」という政府への憤りもありますが、「変異株が広がるなかで自分たちの生業によって危険に晒される人がいないか」という悩みもあります。医療関係者からの非難の声(SNSで自分に届いた範囲ですが)は、「耳が」というレベルではなくて、身や心に刺さって痛いです。

 そして、創作はたったひとりの脳内でも可能ですが、公演のような活動は社会があってこそだという思いは変わりません。ただ、広義の社会の安全と、家族や仲間というような小さな社会の営み(あるいは存亡)を、対立させて考えないといけないような情勢が辛いです。どちらも守る術があるなら知りたいというのが率直な気持ちです。

 また、様々な言説の揺れ動きのなかで、「あんなやつらには何らかの罰をあたえるべきだ」と、政府の強権を市民が求めるような空気づくりに加担してしまう可能性も危惧しています。コンサート事業だけに限ったことではありませんが、政府の無策に憤るべきところを市民が非難し合って、個人の権利や自由が著しく制限されるような社会に向かってしまうのは怖いなと思います。そうした空気を利用されることも恐ろしいです。

 ソローの『市民的不服従』にこんな文章がありました。

あらゆる人が、どんな政府なら尊敬できるかを世間に表明するようにすれば、それを踏み台にして望ましい政府の実現に歩みを進めていける。

 僕は、今年のオリンピック開催にこだわらず(再延期も含む)、まずは市民の自由と健康のために、新型コロナ対策にすべての力を注ぐような政府を尊敬します。コロナ禍を乗り越えるためのロードマップを示し、検疫や検査の体制を整え、医療従事者や困窮者を力強く支え、感染拡大防止のための行動自粛が必要なタイミングでは正しいメッセージの発信と手厚い補償を行う、そうした政府であってほしいと願います。