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ドサクサ日記 1/9-15 2023

9日。
横書きの文章を音読すると、ときどき目が滑ってどこを読んでいるのかが分からなくなってしまう。縦書きの場合は、上手に各行を捕まえることができる。前の行を読みながら、さらっと次の行の内容を確認するようなことも無意識でできる。横書きだとそれができない。とても不思議なことだと思う。大量の横書きの資料を読むのは苦痛だが、縦書きの本なら辞書のような厚さでも楽しく読むことができる。

10日。
複数の人間が集まって行う創作は、意思疎通が上手くいくと独りで行うときよりも格段に面白い。他人のイメージに乗って、今まで自分が届いたことのない、あるいは届くとも思わなかった、というか、そもそも存在していなかった場所まで飛ぶことができる。振り返れば、当たり前のような顔でそこに道ができ、以後、往来可能になる。そうしてイメージの地図が広がっていく。袋小路を脱して、銀河へ。

11日。
ソロの新曲の配信が始まった。Heavenはちゃんと自分ごとをラップしようと思った。自分の書いていることや行っていることは、断片だけを見れば様々な評価を下されて然るべきだろう。自由に論評の対象とされることが、表現の責任だと思う。伝わらなさに落ち込むこともある。しかし、奥底に置いている意志や意図が、ちゃんと伝わっていると信じている。そういう聡明さに救われている。「私のことだ」と思ってくれた人それぞれが、歌詞の指す「you」だ。それぞれの知性や感性を信頼していることが伝わったら嬉しいし、これからもそうやって書いたり歌ったり、街に出たりしていく。やあ!なんて道で会って話すことはないかもしれないけれど、この世界や社会に、俺が作品に込めた何らかの思いやフィーリングを受け取ってくれる人がいるという事実と確信が、俺を動かしている。どうもありがとう。

12日。
様々な困窮者を支援しているNPO法人、抱撲の取材で北九州へ。メジャーデビューしたての頃は小倉のラジオ局でレギュラー番組を持っていた。東京での収録が多かったが、何度か小倉のスタジオへ行った。当時は警察がとても多くて、物騒な街という印象だった。支援を受ける立場から、支援をする側に変わった「おいちゃん」たちの話を聞く。互いに必要とされることの温かさと心強さを学ぶ。

13日。
抱撲の取材。現地で「希望のまち」というプロジェクトのあらましを聞き、公開で代表の奥田さんに話をうかがった。ほんの少し踏み外すだけで、いとも簡単に孤立してしまうような社会を僕らは生きている。単身世帯の割合は全体の4割に近い。様々なコミュニティに属していれば、それがセーフティネットになるかもしれないが、ネット時代の僕たちの繋がりは地縁や血縁の柵からいくらかはなれて、個人主義的なゆるやかなものになっていると感じる。面倒臭さはないが、反面、そこまで強い繋がりだとは言い切れない。頻繁に合って抱きしめ合うような仲間を作るのは、簡単ではない。多くの人は経済的な理由だけでなく、繋がりを失って社会から離れていくのだという。孤立した人たちを抱きしめる。すると彼らは社会に戻り、誰かを抱きしめるようになる。ひとりぼっちにしないことの重要性を学んだ。

14日。
ここのところの睡眠不足が一気に押し寄せて、自宅のソファで寝落ちする。ソファでも床でも、自宅のほうがゆっくり眠ることができる。マットや布団の硬さとかは大した問題ではなくて、匂いだけでなく、様々なテクスチャーを含んだ空気の存在が大きいのかもしれないなと思う。普段は何も感じないくらいの、私のものだとも意識しないような、そうした空気に触れることで、俺は安心して眠るのだと思う。

15日。
高橋幸宏さんの逝去のニュース。何度かお会いしたことがあるけれど、複雑なコンプレックスを全身に纏った俺は、上手に話すことができなかった。それでもステージ袖でずっと高橋さんのドラムを見続けた。それは生で観ることに大変な意味があったからだ。偉大なドラマーだった。その日は教授でも細野さんでも小山田さんでもなく、高橋さんのスネアの打ち方やキックの踏み方に釘付けになった。死後の世界については、想像もつかない。しかし、自分が想像するところの、死に含まれている永遠のなかで、安らかで幸福な時間が続いていることを願う。誰にでも存在する意味はあるけれど、やはり高橋幸宏さんなくしては、今日の音楽や、もちろん俺の音楽も形がちがったことだろうと思う。誰のためにとやった創造ではないかもしれないが、感謝と尊敬の念を抱いたまま、あらゆる意味で後に続きたいと思う。