日記 10/18-10/24 2021

18日。
寒い。夏が毎年あまりに暑いせいで、もう冬が来たのかと思ってしまいがちだけれど、本来、冬はもっと寒い。だから秋をすっ飛ばして冬がやってきたわけではなく、今こそが判然とした秋なのではないかと思う。近所の何の木か分からない樹木の葉が一気に赤みを帯びる。夏になるとその木は極大のマキビシのような実を街路に落とすが、この時期には一粒も見当たらない。不思議だ。

19日。
時折、焼き蕎麦が無性に食べたくなる。そして焼き蕎麦を食べると、無性に白飯が食べたくなる。炭水化物をおかずにして炭水化物を食べるのはおかしいと言う人もいるだろうが、こうした嗜好は小さな頃の習慣によるものなので仕方がない。最近では様々な麺が売っていて、工夫すれば本格的な焼き蕎麦を自宅で作ることもできる。ただ、俺はマルちゃんのソースの味が好きだ。あの粉だけほしい。

20日。
スタジオで作業。ここ10年で学んだことが活きている。現在というのは無感情な地点のように今ここにあり、それは過去の自分の行いの集積、答えであり、応えでもある。10年で失ったこともある。それを含めて、得たというか、地面に降り積もるように折り重なって、その上に立っている。将来にどうありたいかという設計図や想像の先に、死が見える。少しずつ考え方が変わる。それでいいと思う。

21日。
ツアーとアルバム制作が同時に押し寄せてきて、なかなか胃が痛い日々が続く。物作りの大変さとツアーの過酷さは少しベクトルが違う。感じる喜びや達成感も似ているようで明確に違う。ツアーはわかりやすい過酷さと、身体を巡るホルモンから得られる幸福がスピーディにやってくる。楽曲制作は沼で、泥だらけのまま陸に上がって、シャワーを浴びるのは数年先ということもある。

22日。
ツアーのリハーサル2日目。今こそが秋とか偉そうに書いたがやっぱり寒い。冬だとは認めたくないが、冬だろうが秋だろうが、あるいは今が真夏であったとしても寒いものは寒いし、寒いのは嫌だ。ただ、裏地が起毛になっているようなフーディなどを着たときの、なんとも言えない安心感のような温かみは、こういう気候のときこそありがたく、袖を通すと幸せな気分になる。

23日。
スーパーに鰹パトロールに出かけたところ、いつもはズバコン!と雌雄の節のままで売られているか、またはタタキになってしまっている鰹がちょうど良い感じのサイズの柵で売られていたので、買って帰って半分を刺身にして食べた。薬味は大蒜。とても美味しい。残りの半分はトレイから出して塩を軽く振り、キッチンペーパーに包んで夕方まで冷蔵庫で寝かして、刺身にして食べた。最高。

24日。
ツアーのために所有する古いMacBookのスペックを調べているが、どれも型が古過ぎて困ってしまった。10年前のモデルはOS Xの途中でアップデートができないようになってしまって、最新のソフトを入れることができない。数十万円の価格も、使用した年月で割れば月額数千円ということかもしれない。しかし、このズシリとしたマシンがほとんどゴミ同然だと見切られることに罪悪感がある。