見出し画像

ドサクサ日記 4/1-7 2024

1日。
外国に行くと普段とは違うものを食べる。そうすると排泄物の状態も匂いも変わる。自分の体から排出されたものなのに、日本で飲み食いしているときとは明らかに異質の匂いと、しつこい粘り気にたじろいでしまう。それは台湾に行ってもドイツに行ってもアメリカに行っても同じで、事後はいつも、一刻も早く現場から離れなければならないと思う。尿意を気にして、水分補給が足りていない説もある。

2日。
身体がバキバキ、喉もイガイガしている。諸々が積み重なって疲れのピークを迎えていたので、ちょこっと休暇。田舎の街でラップをしながら歩いている若い子たちとすれ違う。思いっきり肩をぶつけてきて吃驚した。そういうことしてると、呼ばれてもいない環境に呼ばれちゃうよと心配しつつ、でも、彼らの傍らにリリックがあって、その美醜について考える時間があるなら、それは救いだと思った。

3日。
久しぶりに温泉にでも使って身体を休めねば、と思っていたところ、台湾中部で大きな地震が起きたというニュース。高雄の街や友人たちは無事とのことだったが、数日前に居た街によく似た景色が地震によって崩れ落ちていた。大きな震災がある度に、台湾の人たちは日本の被災地を援助してくれた。災害の絶えないアジアの東側に住む仲間として、何かできることを探したい。ただ、これは東日本大震災で学んだことだけれど、例えば遠く離れている僕たちがせめてもの援助として募金をしようと思った場合、スピード感はさほど問題ではない。むしろ、災害の規模がわからない段階で寄付先を決める必要はなくて、やがて立ち上がるニーズに向けて援助を行うほうが役に立つ。こちらが浮き足立たずに、できることを探したい。ほんの小さな善意でも、集めれば大きな力になることをいつでも忘れずにいたい。

4日。
自分が50代目前のおっさんであることを、時折忘れてしまう。町なかは老人ばかりじゃないかと嘆いた自分が、この国や町の平均年齢を押し上げているのは確実で、そういうことを棚に上げて、どうでもいいことをボヤいている。いや、どうでもよくはないか…。子供たちを本当の意味で優遇してやってほしいなと思う。大人たち、親たちは「不公平」という言葉に溺れてしまう。一人ひとりの命を祝福する以外に、平等な公助というのは難しいと随分前から思っている。3人家族の団欒を恨めしく眺める人もある一方で、孤独を愛する人もいる。裕福な家族のなかで孤立する人もいる。誰もがたった独りでこの世にやってくる。生と死の瞬間があることだけが、私たちの共通項だとも言える。死を弔い、生を祝福する。スタートラインに立つ=成人までのあらゆる格差を埋める努力を、行政にはしてほしいと願う。

5日。
周年ライブのための写真撮影。最近はイベントの告知も前倒しになっていて、本当にみんな集客に必死なのだと思う。告知力の差が集客や、そもそも人気に響いたりする。確かに、コンサートの経済的な重要性は上がり続けている。でも、別に広いところでやることが音楽の成功ではないということを、いつも忘れずにいたい。最初は、誰かに聞いてもらいたいだけだった。友達が新曲を「いいね」と言ってくれることが、たまらなく嬉しかったのを覚えている。その規模が広がっているだけの話で、東京ドームいっぱいの人たちの熱狂は確かにとてつもないことだけれど、一人ひとりに手渡しながら確認する感動や生きがいもあると思う。そこで問題なのは、そこに集う人たちや演奏している人たちの幸福感で、自分が納得しているなら、どちらでも素敵なことだと思う。そういう話を、屁をこきながら酒場でした。

6日。
BECKのライブを観に六本木へ。BECKはキュートで素敵だった。現在の一般的な価値観から照らし合わせると、特別な演奏技術を持っている人ではないと思う。この日に弾いたピアノは迷子みたいな演奏で終始ニヤニヤしてしまった。でも、音楽には演奏の正確さみたいなところ以外にたくさんの魅力があって、本来は総合的なものだと思う。彼にしか表せないことがある。以前にチャンス・ザ・ラッパーの後で観たBECKのバンドは、HIP HOPのビートや身体性に比べるとヨレヨレという感じで、サマソニのメインステージよりもNHKホールとか恵比寿ガーデンホールとかで観たいような演奏のバンドだった。だからと言って魅力がないかというとそんなことは全然なくて、やっぱりBECKにしかできない魅力があるように感じた。この夜のBECKからはボブ・ディランやニール・ヤングも感じて感慨深かった。

6日。
どこを歩いても桜が綺麗に咲いていて気分があがる。一方で、風のなかに花粉を感じて皮膚や粘膜がザワザワする。鼻水はあまり出ないのだけれど、この時期は喉の調子があまり良くない。皮膚ははっきりと反応して、痒みの手前くらいの感覚が続き、意識すると痒みに変わる。人間の感覚というのはこういうところが不思議だと思う。何かに没頭する瞬間には、誰の言葉も聞こえなくなるほど鈍感になれる。