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ドサクサ日記 7/22-28 2024

22日。
東海道新幹線が止まっているというニュース。ドイツにツアーに行ったとき、定刻で目の前にやってきた電車に乗ったところ、全然違う行き先へ走り出して肝を冷やしたことがある。定刻で約束通りのホームに電車が到着することの有り難さ。日本の鉄道はとても優秀だと思う。ゆえに事故の影響が大きく見える。怪我をされた方が無事だといいなと思いつつ、外せない用事があったひとを気の毒に思った。

23日。
都内でフジロックのリハーサル。池畑さんや花田さん、ヤマジさんや梅津和時さんと一緒に演奏しているという事実だけで、精神の奥底が盛り上がってくる感じがする。「ゴッチもギターを弾く?」と池畑さんは聞いてくれたけれど、花田さん、ヤマジさんという素晴らしいギタリストがいるセッションで、俺のギターが彼らの演奏をマスキングするなんてありえないので、歌に専念させてもらうことにした。

24日。
肩のリハビリ。ギリ四十肩、アラフィフ肩になって1年が過ぎ、ようやく普通に運動をしたり、少しだったらギターピックを投げられるくらいまで回復してきた。肩周りの筋肉が固まると身体の広範囲に影響が出て、呼吸が浅くなるような感覚がずっとあった。歌にももちろん影響があって、しんどい日もたくさんあったけれど、なんとか元の身体に戻りつつある。まだ動かない角度があるので治したい。

25日。
散髪、ボイトレからの苗場前乗り。久しぶりにラッコさんに会って、一緒に前夜祭が行われているオアシスで乾杯。ライブハウス大作戦ブースに顔を出したり、Mitchさんや花房さんにも会って近況報告。コロナ前とは飲食店の並びが少し違っていた。いいちこのブースが眩しい。ルーキーに出たのが21年前。頭髪にはだいぶ白髪が増えたけれど、やっぱりここに来ると仲間を探してしまう。

26日。
グリーンステージでRoute17のライブに参加。MY GENERATIONは少し固いなと実感しながら歌ったけれど、イマジンは曲のなかに入っていけたと思う。やっぱり、自分の母語で歌うと、言葉と魂の結びつきを感じる。『NO WAR』がナイーブでお花畑に見えたとしても、俺はステージの前や画面の向こうの、思いや願いを一緒に温めてくれる人たちを信じて投げかけたい。そして、世界中に現存する理不尽な暴力に反対したい。どんなに馬鹿にされたとしても、理想を唱えることをやめたくない。演奏の後は皆と談笑した後、アメリカ人の記者の取材を受けた。その後は会場内をオレンジコートの端まで歩いた。そこかしこに俺が大好きなフジロックがあって、本当に最高だなと思った。今日の気持ちは、また後日noteに書こうと思う。ホワイトステージの脇から山道の裏動線を抜けてプリンスに戻る道すがら、トシロウさんに捕まって苗場食堂へ。池畑さんが苗場音楽突撃隊にも!と言ってくださったので喜んで参加した。モーサムの百々さんと一緒にMY GENERATIONを歌ったけれど、グリーンステージよりも弾けて、かつ柔らかく、良い感じに歌えたと思う。とても楽しかった。「俺たちはあっちじゃなくて、人間の器がこっちサイズなのよ(笑)」とトシロウさん。俺はこの1日で、だいぶ息を吹き返したと思う。

<English>

梅津和時さんと「イマジン」を演奏する意味。歌い出しはRCサクセションのバージョンで歌わせてもらった。そのあとはジョンの原詩や清志郎さんの訳詞を参考にして、自分の言葉で書き直した。アウトロには「僕らは薄着で笑っちゃう」を。
出て行った時の背中よりも、帰って来てからの背中のほうが、いくらか力が抜けて良い感じなんじゃないかなと思っている。悩みや迷いはいくらでもある。強い人間でも、正しい人間でもない。矛盾を抱えながら日々、転がっている。何はともあれ、ただいまフジロック!と言いたい。

27日。
神戸に移動して、旧グッゲンハイム邸。森本アリさんの著書を読んでからというもの、いつか行ってみたい場所だった。アリさんに旧社員寮などを案内していただいて感無量。コミュニティづくりを進めるうえで、とても勉強になった。演奏はとても楽しかった。古里おさむと風呂敷のライブも最高だったし、タンテ井上君のライブも良かった。久しぶりに井上君と一緒に演奏して、ソロのバンドもまたやりたくなった。音楽はいいなと本当にしみじみと思う。そしてやっぱり、この身ひとつでやっていかなければいけないなと思う。インターネットの上を右往左往していると、等身大の自分のことがよくわからなくなってしまう。自分の知らない自分と出会うというか、偏見や誤解を含む漠然としたイメージがGotchを作っていて、自分との齟齬に動揺したり、憤ったり、戸惑ったりする。画面を閉じてそうした世界と隔たれば、日々の生活のなかで会う人たちこそが自分の人生そのものだなと思う。それこそが世界だと浸ってしまうのは問題だと思うけれど、かといってネットのなかで自分を見失うわけにはいかない。合奏はこうして居合わせないとできない。それが意味するところを書きつけるのは難しいけれど、そのありえなさ=有り難さは全身で感じている。自分をしっかり捕まえながら歩んでいきたい。

28日。
さすがに移動距離が長くて疲れた。家のソファーでウダウダしていたけれど、1日の終わりに本屋へ行き、スーパーで玉蜀黍のサラダとハートランドビールを買ってきて飲んだ。瓶ビールは美味しい。缶よりも断然瓶が好みで、場合によっては居酒屋の生ビールよりも美味しいと感じることがある。蝉がうるさく鳴いている。アジカンの夏はこれからだけれど、なんだかひとつの夏が終わったような気もする。