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ドサクサ日記 9/2-8 2024

2日。
遠路、友人が働いているラーメン屋に案内してもらい、こってりラーメンを食べた。隣では高校生の軍団が巨大スリコギのような鉢でドカ盛りラーメンを食べていた。自分が高校生だったら狂喜乱舞して通ったのだろうか。否。学校帰りに1000円以上のラーメンを食べる財力が当時はなかった。部活帰りに170円のチキンタツタをセブンイレブンで買い食いして、なんつう美味さだ、悪魔的だと唸っていた。

3日。
整形外科へリハビリに行ったら、採血の日だった。昨日はこってりラーメンを食べてしまった。「こってり散らかすと尿酸値が直ぐに上がりますよ」と医者に言われているのを忘れていた。また、「痛風には水を飲め」というスカパラ川上さんの教えも守らず、ほとんど何も飲まずにスタジオで黙々と作業をしてしまった。幸いにもこれまでに痛風の症状は出ていないが、不安な気持ちで胸がこってりしている。

4日。
藤枝に作るスタジオのクラファンがもう少しで始まる。始める前からはっきりとドキドキハラハラしていて、いろいろなことに悩んでしまう。プロジェクトへの様々な疑問に答える機会は、いろいろな場所で作るべきだと仲間たちと話し合っている。日記には個人的な不安などを書きつけたい。スタジオの設計はこれが最適なのか、持続可能性はどうか、作ったところで使ってくれるミューシジャンたちはあるのか、そもそもお金が集まるのか、俺はそういうことにいちいちクヨクヨするタイプで、リトルゴッチが「どうしてお前はそういう仕事ばかり始めるのか」と問いかけてくる。ただ、こういうことをしたほうが、きっと楽しいし、喜ぶ人も多いのではないか、ええやん、最高やん、頑張ったらええやん、という謎のテンションの関西人的な人格も自分のなかにいて、調子の良い日はそういう感じで過ごしている。

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5日。
一方、時折、自分のなかから最もネガティブな輩が登場して、身体の芯のあたりからズーンと地底に引っ張り込むような重力を感じて、危うい感じになる。こういうときに心身を軽くしようと飲む酒は、飲んでいるときには程よく麻痺させてくれていいのだけど、深夜になって体内から酒が切れたころに、なんともないやり切れななさだけをビビットに見せる力がある。アルコールに頼るのは危ないと思う。

6日。
ツアーの準備。BUNTAIでやっていない曲の歌詞カードにコード進行を書き写す。構成は覚えているので、コードのメモがあれば曲はなんとか演奏できる。「なんでそこに行くのよ!」と自分が考えたコード進行に文句を言いたくなる。ツアーはまたしても規模感を読み違えてしまった。チケットが取れなかった人たちには申し訳なく思っている。チケットはギリギリ売り切れないくらいがいい。なぜならば、見られなかった人がほぼいないという計算になるからだ。とはいえ、何もかも自粛しなければいけなかった時期を経て、苦境が伝えられていたライブハウスを巡りたいという気持ちが以前からあった。本来ならばサーフのツアーからキャパシティを拡大して行うのが、ビジネスとしての最適解だったのだと思う。商売下手なのかもしれない。俺たちは毎年のようにツアーをしているので、またどこかの場所で再会できたら嬉しい。仙台GIGSは大きいので、競争率が低いと聞く。各地にこれくらいのライブハウスがあるといいのかもしれないが、平日にこの規模のライブハウスを使うアーティストは限られていて、そうなるとライブハウス自体の経営が難しい。自前のテント的な、POPサーカススタイルが正解なのかもしれない。

7日。
時折、ドラゴンボールが大量に詰められたガチャガチャボックスを見かける。一度もコインを投入した経験がない。また、コインを投入する人を見たことがない。しかし、割と良く見る気がする。設置され続けているということは、ガチャを回す人が一定数いるということなのだと思う。「神龍が出ない」と役所へクレームと入れる人にチョコプラを当てて脳内再生し、ニヤけながら街を徘徊する変人と化した。

8日。
「贅沢アイスコーヒー」なる飲み物をカフェで注文したところ、レジから丸見えの厨房の、入口の奥に設置された業務用冷蔵庫から紙パックを取り出し、グラスに注ぐスタッフが見えた。どこらへんに贅沢が存在、あるいは介在しているのかに思いを巡らせる。コーヒー豆はおそらく、中南米かアフリカからやってきた。冷房が効いた店内で、いろいろな面倒をイメージから引き剥がして、アイスコーヒーをストローで啜る。栽培、収穫、袋詰め、出荷、運搬、荷解き、仕分け、焙煎、紙パックへの充填などの製品化。木を切る、保管、運搬、チップ化、製紙。あらゆる労働や何らかの何かを経て、アイスコーヒーはグラスのなかで冷えている。俺はいち消費者として「どこが贅沢やねん」的な態度でグラスを睥睨している。が、冷たい目で見られるべきは、何らかの贅沢さに気がつかない俺なのではないかとも思う。