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ドサクサ日記 10/31-11/6 2022

31日。
APIのコンソールの修理。アナログ機材というのは壊れるところが面倒臭い。しかし、人間だって日々生きているだけであちこち痛むのだから、機械に不具合が出るのは仕方のないことだ。当然、同じ型番の機材でもひとつひとつ個体差がある。そういうところが、あなたがあなたであるようなオリジナリティにつながっている。マクロの視点からは誤差すら見えなくても、確かな違いこそが存在意義そのもの。

1日。
開店早々の某饂飩チェーンに行くと、爺さんや婆さんやおっさんが長蛇の列を成していた。饂飩を茹でる厨房は間に合っておらず、列が動く気配がない。何ごとかと確かめると、どうやら今日は釜揚げ饂飩半額の日らしい。しまったと思った。サクッと食べてサクッと仕事に取りかかるために饂飩屋を選んだのに…。俺は半額饂飩を狙うおっさんのひとりとして長い列に並び、定価のきつね饂飩を注文した。

2日。
1リットル170円のガソリンよりも、500mlで120円の水のほうが高い。冷静に考えると恐ろしいことだなと思う。海外へ行くと、ホテルのシャワーからの水ですら飲まないことを推奨される地域がある。そうした場所から眺めれば、我々の家々に届く水道水は驚くべき清潔さだろう。水商売という言葉がある。本来は客の需要に左右される不安定な商いに当てられた言葉だが、水を売る商売は濡れ手に粟だろう。

3日。
金銭というのは縁を切るために支払われるのだという言葉を本で読んでハッとした。飲食店で金銭を支払うとき、金銭によって我々はそれぞれサービスを提供する側と提供される側にきっぱりと分かれる。金銭が存在しないとするならば、一杯の食事を得るために複雑なコミュニケーションを行う必要がある。金銭は想像を絶するほど便利だが、同時に、そうした複雑さを丸ごと消し去るほど残酷でもある。

4日。
打ち合わせで静岡へ。十数年ぶりに地下街を歩く。シャッター街という言葉がぴったりなくらい寂れているところがあって、寂しい気持ちになった。地下街を歩くときはいつでもドキドキした。どんな店があったかはもう思い出せないけれど、地元の田舎町にはない華やかな感じが好きだった。俺が通ったのはたった100メートルくらいのものだから、華やかな場所が別に移っただけのことかもしれないけれど。

5日。
豹のアニマルマスクをした爺さんを駅で見かけて、ニヤニヤとした笑みがしばらく収まらなくなってしまった。誰かからもらったものなのか自ら購入したものなのかは分からない。マスクに対するこだわりがなく、「これでええわ」みたいな気持ちの発露としての豹なのかもしれない。あるいは、コロナ禍で殺伐とする社会に一服のユーモアを、みたいな志の表明なのかもしれない。理由はどうあれ顔の半分が豹の爺というのは存在として強烈で、俺は無視することができなかった。しかし、世間一般のスルー力というのは恐ろしいほどに強く、行き交う人々は一瞥もくれずに既読スルーを決めるような態度で、顔の半分が豹の爺を脳裏に捉えていない様子だった。豹の爺には「不本意ながら豹なんです」的な恥じらいの雰囲気が微塵もなかった。他人の評価に左右されない強靭なメンタル。素敵なことかもしれない。

6日。
南相馬でコンサート。大震災以来、いろいろな縁に恵まれた。生まれたわけでも育ったわけでもない、もちろん住んだこともない南相馬に知り合いがたくさんいる、というのは不思議なことだ。「スローダウン」という曲は南相馬に行かなければできなかった曲だ。復興と名付けられた加速が置き去りにするもの。浜辺をコンクリートで固めることを、心の底から悲しむ人もいる。それは「自然を守れ」という大きな物語ではなく、ごく個人的な、その下に行方不明の人々が眠っているかもしれないという、小さいけれども切実な物語だ。誰かの悲しみを、自分のことのように語ったりはできない。事実、過去の俺は黙して涙する以外に何もできなかった。それは今も同じかもしれない。自分らしく傍らに立ち、一緒に飲んだり食べたり、ときにはギターを弾いて歌ったり、一緒の空気を吸って吐いたりしている。