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ドサクサ日記 10/7-13 2024

7日。
藤枝スタジオの建築についてのミーティング。資材の高騰については想像がつかないけれど、建物自体はなんとか予算に収まりそうで安心した。もっとも、土蔵を吊り上げて補修する曳家のみならず、空調や電源まわりなど、普通の民家では考えられないようなところにお金がかかる。このあたりはケチらずに、100年後の人たちへのギフトだと考えてフルスイングする予定だ。完成するまでは心配が尽きない。

8日。
長年使ったiPhoneを買い換えることにした。今使っているのは11Proで、買った日を思い出すことができない。価格もいくらだったのか覚えていない。Appleのサイトで確認したところ、新しいiPhone16Proは17万円くらいであった。ほとんどMacBookみたいな価格になってしまっていて悲しい。円が安いせいなのか、そもそも価格が上がったのかは分からないが、5000円くらいのPHSが懐かしい。

9日。
DIYでマイクを組み立てた。振動を測定する機器を転用したマイクで、よく分からない低音が録音できるのだという。ハンダは難しくはなかったけれど、「楽器の音をナチュラルに録音する」みたいな目的のマイクではないので、何が正解で何が完成かわからない、みたいな難しさがある。反対から眺めると、私たちがいかに「正解」みたいな考えのなかで活動しているのかということでもある。芸術なのに。

10日。
金沢へ。まだ能登へ足を運べていないことについて、いくらかの申し訳なさがある。政府の対応ははっきりと遅いが、俺もまた東日本大震災にくらべたら動きが鈍いと思う。そういう状況でコンサートを行い、クラファンへの参加を呼びかけることにはいくらかの躊躇いがあった。かと言って、今回だけ振る舞いを妙に変えることにも異和があった。迷いや戸惑い、特にそうした性分が濃いのが自分の特徴だと思う。どうか少しずつ、町が復興していくことを願う。スタジオのこともあって、地方の町やコミュニティーに足を運ぶことが増えたけれど、課題はどこも似ていて、それは人口が減り、高齢化し、何もかもがゆっくりと衰えていくこと。そこで見直されているのは、新しい結びつきなのだと感じる。再開発すべきは駅ビルや市街地ではなくて、参加も含めたコミュニティーと市民の在り方なのだと思う。

11日。
石川県立図書館、21世紀美術館を巡ってから長野へ。図書館はTSUTAYA的グッドデザインというか、図書館としてはパフォーマンスが過ぎるかもと感じるところがあるが、グルグルと巡ったり、静岡県史の本をゆっくり読んだりしながら、司書のみなさんの心遣いを想像して、良い場所だなと思った。何より、このような図書館にしっかりと予算をつけた石川県と石川県民が素敵だと思う。観光バスが何台か来ていたが、図書館が観光地になるのは、本来はあまりよくないのではないかと心配になる。図書館は人があまりいないほうが静かで居心地が良いからだ。収益性に関わらず、学びたい人、調べたい人にいつでも開かれている、みたいな態度こそが未来への真剣なパスで、大事な態度だと思う。帽子を衝動的に購入。長野でのライブはとても熱かった。楽屋に用意してもらったおやきが渋くて良い感じだった。

12日。
ツアー北陸シリーズ、中日。北陸新幹線によって人の流れが変わったなどの話を聞いた。金沢へのアクセスは、はっきりと良くなった。新幹線でつながって、長野と金沢の経済的な結びつきが強まったという。昔は越後湯沢で特急に乗り換えて富山方面へ向かった。越後湯沢駅で日本酒を飲んだり、風呂に入ったのが懐かしい。新幹線や高速道路は便利だけれど、怖いなとも思う。人の流れが変わってしまう。

13日。
本番前に角田浜の難波さんがやっているラーメン屋「なみ福」へ。お店の前では難波さんが迎えてくれた。短い時間だったけれど、何を話したというよりも、難波さんのバイブスを感じることができてよかった。「なみ福」のラーメンは、透き通ったスープが身体に染み渡るような感じで美味しい。ドカ盛り野菜ニンニクわしわし太麺豚骨系とは反対側の趣き。難波さんが「ラーメンと交互に食べて」というチャーハンも最高だった。日本海沿いの寂しい浜辺の一角が、ラーメン屋によって賑わいを取り戻そうとしていた。決して好立地とは言えない場所だが、隣には新しい店もできていた。ツーリング客もたくさん休憩していた。ライブハウス大作戦や「なみ福」のTシャツを着た音楽ファンと思しき人たち、音楽にはあまり興味のなさそうな老夫婦など、お客さんは様々で、こういうときに食がアプローチする層の厚さを思う。バスクチーズケーキを咥えながら市内に戻ってライブ。以前にアジカンを担当していたFOBの中島さんの豚汁が楽屋に用意されていた。中島さんが亡くなってから随分と経った。北陸の長い移動中に中島さんの渋い声で発せられる「飯です」の一言が好きだった。豚汁は玉ねぎと白味噌と豚の脂によって、あまり食べないような甘味があって美味しい。喉が潤ったのか、いつもよりもいい声が出た。

難波さんは日本のロック史にかかせない存在。ハイスタと彼らの世代が僕らにライブハウスをカジュアルに解放してくれたとも言える。中高生の頃はもっと怖い場所だと思っていた。今では、ライブハウスは僕らのカルチャーとコミュニティの中心みたいな場所になった。そういう流れが生まれたのは、ハイスタとそれに続いたバンドやスタッフたちの力が大きい。『ライブハウス大作戦』とかね。
海、浜、人々、ラーメン、チャーハン。最高の時間。

追伸。
クラファンのリターンの追加を火曜日と告知してしまいましたが、16日の水曜日の間違いでした。すみません。ご注意ください。

また、すべての応援メッセージに対して、返事を書くことにしました。noteのマガジンにまとめますので、フォローしてもらえたら嬉しいです。