AIと遊ぶ|AI失業前夜の仕事と学び
こんにちは。Φ(ファイ)です。
教育業界で事業開発を続ける私が、学びの観点からAI失業について考えたので聞いてやってください。
(開発に関わった事業は、幼児教育・習い事・受験・就活・リスキリング)
必ず仕事はなくなる
AI失業の話題になると、たいていは大きく二つの派閥に分かれる。
1.AIが新しい産業を生み出す
2.全ての仕事はAIに奪われる
この二つの意見については、基本的にタイムスパンによるだろうが、どちらも正しい。
つまり、1→2の順番でことは起こるし、それがどれくらい早いのかという話だ。
近年のAIの進化スピードは私たちの予測を遙かに超えており、私は一般的に考えられているより早いスピードで、この変化は起こると予測している。
ちなみに、私はChatGPT4が出た時点で「2025年に自分はAIに負ける」と言っていた。(証拠が出せないので今後は残そうと思う)
周囲は「オモチャみたいなもの」という反応だったし、私自身も自分の方が遙かに賢いと思った。
それでも、後数年で追い抜かれる予感があった。
特に私はホワイトカラーなので、思考という武器ではAIとガッツリ競合するため、AIの知能指数が+1σに達したら白旗をあげるつもりであった。
そして、先日発表されたGPTo1のIQは120とのことなので、残念ながら想定より早くAIに負けた。
更に2024年12月20日にo3という新モデルが発表され、+2σ(人類の上位2%)以上の能力がほぼ間違いなく発揮できるようになった。
これでめでたくお役御免かというと、さすがにそんなことはない。
では、どんな変化がこれから起こってくるのだろうか?
エージェントとマルチモーダル
ホワイトカラーについては、GPTなどのAIは専用のアプリケーションでないと動かすことができない。
しかし、1年以内に複数タスクをこなすAIエージェントが普及していくだろう。
エージェントは、マルチモーダルと呼ばれる音声・画像・テキストなどの処理も統合的に行えるため、かなり汎用的なことができるようになる。
例えば、以下のようなことだ。
・Googleで事業について調べたて分析
・Excelを新しく作って資料にまとめる
・内容をPDF化してクラウドに保存
・保存した内容をslackで同僚に共有
しかも、これを音声で対話したり、画像などを使って指示することができるわけだ。
こうなるとコンサルティングファームのアソシエイトレベルの仕事はほぼ必要なくなる。
恐らく、コンサルタントの多くの仕事は、慣性力のために人力が使われるだけのものになる。
そして、しがらみがなく最初から全てAIにやらせる超少数精鋭のスタートアップの会社に敗れて、体質改善を余儀なくされてアソシエイトレベルから失業する。
(この変化は5年ほどで目に見えて起こるので、知識労働は既に終わったということに気付いて、本気でリスキリングを始める方が良いと思う)
ホワイトカラーでも長く残るのが、インサイトや閃きの仕事だ。
AIは学習していないことや、論理的思考で導けないことは苦手である。
とはいっても、この分野についても10年ほどで人間を代替できるようになり、15年後にはAIの方が人間をより理解している存在になるだろう。
映像制作の民主化
次はクリエイターだ。
o3の発表と連なって、動画生成AIのSoraが一般公開された。
まだまだ作りたいものを出力させるのは難しいが、これも数年以内にかなりクオリティが上がるだろう。
私は、クリエイションという分野を、以下のような次元で考えている。
0次元:文字(単語)
1次元:文章(×物語)
2次元:漫画(×絵)
3次元:動画(×時間)
4次元:アニメ(×音声)
5次元:ドラマ(×人)
これらの創作にかかる費用は、次元が上がるごとに、文字通り桁が上がっていく。
そのため、小説サイトへの投稿数は膨大であるのに対して、YouTubeに投稿される完全オリジナルの自主制作アニメ・ドラマの数は非常に少ない。
これについて、AIはほぼ間違いなく全てを生成できるようになる。
そこで起こるのが、クリエイターバブルだ。
生産されるコンテンツ数は指数関数的に増加するが、消費する人の数・時間はほとんど変化しない。
現在でも、クリエイターの世界は一部のロングテールが大成功を納め、99%以上のショートヘッドは日の目を見ることがない。
これが、さらに熾烈な競争となるという点で、クリエイターの未来も厳しいものと推測されるだろう。
もちろん、全ての人にチャンスが開かれるという点は歓迎すべきことである。
また、AIの性能が十分に高くなるまで、細かなアジャストは人間がやらねばならない。
その点では、新しくツールを使いこなして生産速度とクオリティを高め、センスでAIの作品をブラッシュアップすることが求められる。
このような変化も10年ほどで終わりを迎えるため、15年後には殆ど稼げるクリエイターはいなくなるだろう。
身体こそ最後の人間性
ブルーカラーやエッセンシャルワーカーの仕事は、AIに代替されるまで最も時間がかかるだろう。
それは、物理的な問題を超えるにはロボティクスが必要だからだ。
とはいっても、これはホワイトカラーでもクリエイターにも言えることだ。
例えば、体感型アトラクションなどは身体で味わうものなので、企画や試作、最終調整なども人の手で行われる必要がある。
食品の商品開発でも、AIが食べて評価するには味の認識が必要だし、触感や食べやすさなどはAIでは判断が難しい。
これらの点から、AIが身体を伴う業務を代替できるのは、早くとも15年はかかると考えている。
一方で、30年後でも仕事があるという考えは、技術進歩を過少評価していると思う。
現在の小学生に将来仕事はない
随分長くなったが、教育的な話をしていこう。
現在10歳の小学生がいるとする。
30年後には40歳なので、私たちの感覚ではまだまだ現役である。
しかし、ほとんどの生産活動をAIが行うようになった世界で、全ての人に仕事があるという考えは保守的を超えている。
だが安心して欲しい、AIが衣食住の生産もしてくれるなら、そもそも金を稼ぐ必要すらない。
幸いにも日本は世界有数の金持ち国家なので、資本主義に従えば裕福側を維持することは容易である。(r>g)
そうすれば、社会保障によってベーシックインカムを受け取って、好きなことをして日がな一日過ごす未来も現実的にあり得る。
(それまで政治が正しく機能していれば)
実際、日本の家計の金融資産は2000兆円を超えており、多くは高齢者がため込んでいる。
これを、30年かけて相続税として徴収できるので、国家全体の徴税ポテンシャルはなり高い。
(少なくとも今の政治には、経済を回すことや、献金などの無駄遣いを止めることを期待するが)
そのため、日本という国にいる限りは概ね安泰だし、悲観的に考えることはない。
価値観を変えるための教育
これからの30年は、産業革命を遙かに上回る大きな変化が起こる。
この変化が最も与える影響が価値観だ。
今までは、頑張る目標があった。
明確な、競争する種目があった。
しかし、これからの世界にそんなものは存在しない。
現在、定年退職したおじさんがやることがなく、家庭で邪魔者扱いされているなどの話はよく聞く。
これが全ての世代で発生する。
私たちは、仕事をしなくていいと言われたら、いったい何をして生きるいだろうか?
毎日提供されるコンテンツを消費するだけの日々は、本当に楽しいだろうか?
資本主義の時代を生きる私たちは、全てに意味が求められる。
子供の頃は、無意味なことにあんなに熱中できた。
価値の転換の時代に、今働く世代こそ再教育が必要なのだ。
AI時代は希望に満ちている。
面白おかしく乗りこなして、また子供の頃のような日々を送ろうではないか。
これが、私の考える仕事と学びの未来である。