火垂るの墓で泣けない人へ
この世にはうんこみたいな実写映画化がまあまあの量存在する。
便器に残された監督のうんこみたいな。
そういう映画への批判はもういい。
俺はとにかくこの場で死ぬほど感動した実写映画を紹介します。
「悪童日記」
アゴタ・クリストフの名作3部作小説の悪童日記、ふたりの証拠、第3の嘘から、悪童日記が長い年月を経て実写映画化した。
戦争、子供とくれば日本人なら火垂るの墓が思い浮かぶが、正直俺はあんまり好きな映画ではない。
シンプルにとてもイライラするから。ああすれば良かったなんて思う事が無駄なだけに、長く心に残る重苦しさが苦い。
見終わった後のモヤモヤ感が楽しめない訳ではないけど、あまりにも多くの人に鑑賞された映画だけに感情に不純物が混ざりすぎている気がする。だから、素直に子供が死んだ事実に対して泣く人の顔を思い浮かべるだけで面倒くさくなる。
上映当時にレイトショーでこっそり見てそのままでいられればよかったが生まれるのが遅かった。
ネタバレにならないまでに内容を書く。
ハンガリーに住むごく普通の双子が、第二次世界大戦の戦火を逃れるため親元を離れて祖母が住むど田舎で地獄の疎開生活を送る。祖母は地元じゃ魔女で通るクソババアだ。頻繁に殴り、双子を「メス犬の子供」と罵りながらこき使う。
さらに戦時中のど田舎は最悪だ。クソ寒い、カースト社会、民度が悪いと三拍子揃っている。
近所の不良女に食べ物を盗まれた上に濡れ衣を着せられ殴られる。救いのない、胸糞作品である点は火垂るの墓と共通している。
だが、双子(ぼくら)は弱々しくただ死を待つことはしなかった。臆病な人間、優しい人間、力の弱い人間から大切なものを奪う「力」を目の当たりにするたびに、惨めさに屈しないための訓練を行う。
日記とは「ぼくら」という双子特有の意思疎通、もう片方の兄弟が半分己の意思を持つかの様な共存を記録したものである。
痛み、中傷、恐怖、寒さ、飢え、そして悪徳。それらをお互いがお互いに課すのだ。1人なら逃げ出したくなるような苦痛の訓練だが、「もう一人のぼく」がそれを許さない。
薄暗い魔女の家の中で「ぼくら」の生き写しである悪童日記が、自然光やランプの僅かな光に照らされてグロテスクなほど強烈な色彩として映る。
どう考えても名作だ。
ハンガリーの田舎町の美しさの中にじわりと人間の薄暗い感情が滲むようなカットの一つ一つが胸を打つ。とても丁寧に作られた映画だ。
「ぼくら」の訓練は段階を経て、更に過酷になっていく。彼らにだけ存在する独善的な正義だが、大人に力の差で勝てない子供にとって対抗する術は悪徳だけだ。善良無垢な子供が弱々しく死ぬのを涙を流して観る方が何倍も楽な気がする。でも目を離せない。2人の後姿にかける言葉など見つからない。
最後の訓練は本当に瞬きができず涙だけ溢れた。
俺はこの映画が見たかった。
真っ直ぐな人間ほど無言で立ち去る映画だとは思うけど、この映画の価値は計り知れないので是非鑑賞してほしい。
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