ぼくらのは決して鬱漫画ではない
「ぼくらの」は鬼頭莫宏が描いた超ポジティブ頑張る中学生たち!漫画だ。
未読の方のためにある程度の設定を説明する。
夏休みに臨海学校に参加した15人の少年少女たちは、お遊びで探検していた洞窟の奥底で怪しいおじさんに「巨大ロボットを操縦して怪獣を倒し地球を救うゲーム」をしようと誘われる。
だが本当はゲームではなかった。毎試合操縦者の元気を全部オラに分けてくれとせがむ身長500メートルのロボットに乗せられ、負けて殺される(地球滅亡)か、勝ってロボットに命吸われて死ぬかの二者択一を迫られてしまう。
恐怖の15戦連戦ロボット番付が始まる。
この漫画、ちょっと誤解されがちなところがある。設定上主要キャラクターが全員死亡する事と、アニメ版で死への恐怖を煽りまくるデスゲーム気味に改編された事で未読の皆様から鬱漫画だと思われているのだ。
しかしそうではない、ぼくらのは超ポジティブ漫画だ。本当に登場人物が揃いも揃って前向きなのだ。初登場から即オチ2コマで指を切断された後一度も顔を見せない庄治一尉ですら最後まで前向きだった。
人がバンバン死ぬ≠鬱という事を説明させてくれ。だって死そのものは僕らにだって約束されてるじゃないか。
「死」は人間に時間を与えた。今日は何年何月何日で自分が何歳なのかをぼくらが把握しているのは人生が有限だと理解しているからだ。
ディズニーランドのアトラクションに何時間も並んだりするのは、結局のところぼくらがいつか死んでしまうからだと思っている。
だから大人になると「死」までの距離を何となく予想して人生の過程を進める。
それは人間と動物の大きな違いの1つだろう。
そして「死」から最も遠く、社会や大人に守られて、まだ有限の人生を意識するに至っていない子供達に「時間」を与えてしまったのが「ぼくらの」というお話なのだ。
「ぼくらの」に登場する中学生達は全員何かしらの問題を抱えている。本当にビックリするほど本人も周りもアクシデントを吸引し続けている。
よく眠るための運動として妹をボコしている奴、親父が失踪して下の兄弟を養うため働き続ける奴、イジメられてる奴、親とうまくいかない奴、1人が病死でリタイアしそうな三角関係は結局誰もくっ付かない事を理解して事故死偽装殺人計画を立ててる奴、母が自殺した奴、先生とセックスしたら妊娠した奴…。
都内の中学生が15連ガチャで集まったとは思えない情報量だよ…。
でも彼らは子供だった。子供だったからこそ、すぐ先の死を約束された時、彼らの時間が動き出した。人生を全うするために80年分の階段を一瞬で天まで飛んだ。だからこそ、世界を守るために命を犠牲に戦えた。
俺は基本的に「これから皆さんにゲームをしてもらいます。」みたいな感じで薄っぺらく人がバンバン死ぬ系の量産型が大嫌いなので「ぼくらの」が別物であることは主張していきたい。
ちなみに世界観の作り込みがしっかりしているのも「ぼくらの」の面白さだ。何十年か先の日本で、イカれた超絶災害が起きた時に世界がどう動くのか、特に軍事という分野の視点では作者のオタク要素が溢れていて良いなと思う。
ラストに納得のいかない漫画は紹介しないので安心して読んでほしい。
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