みかんの色の野球チーム・連載第38回
第4部 「熱狂の春」 その10
「うわーっ! でっけえーっ!」
甲子園球場の三塁側アルプススタンド、その上方の席に腰を下ろした私は、思わず声を上げた。
左側に広がるレフト側の外野スタンド、スコアボードを挟んで、ライト側の外野スタンド、一塁側のアルプススタンド、一塁側の内野スタンド、銀傘の下の中央スタンド、そして三塁側の内野スタンドと、時計回りの順に視線を360度めぐらせると、この球場のとてつもない巨大さが、最大級の驚きとなって私の心を揺り動かした。
「5万人以上の観客をラクラク収容できるマンモス甲子園じゃあ。津久見の市民の全員が入っても、たっぷりオツリが来るほどの広さじゃあけんのう」
右隣の席で、昼食の弁当を頬張りながら、父が言った。
アルプススタンドの高い席からは、緑の芝生と黒い土から成るグラウンドの全貌が、まるでゲームの野球盤(※注)を真横上から眺めるようにハッキリと視界に収まり、これまでテレビの中継放送で部分的な光景しか目にしたことのない私には、それがまた新鮮な驚きだった。
その芝生の緑色と、鮮やかなコントラストを見せているオレンジ色のストッキングは、試合前の練習に汗を流す、津高の選手たち。
弁当を食べるのも忘れて彼らの動きを眺めていると、スタンドの下の方で応援部の男子部員たちとバトンガールたちが隊列を組み始めた。その全員がオレンジ色のユニフォームや衣装に「つくみ」の3文字を際立たせ、試合の開始を今や遅しと待っている。
ふと正面の一塁側アルプススタンドを見やると、相手の高知高校の応援団もまた同様に準備を整えている。野球の試合は監督や選手たちだけでなく、応援する者たち全員を含めての総合力の勝負なのだということを、私はあらためて知った。
ところで、仲間たちは、どの辺りに座っているのだろうか。
満員のスタンド席をキョロキョロ見回すと、5列ほど下段の席の左の端に、ブッチンと母親が並んで座っていた。その列の右へ視線を移すと、フォクヤンの姿があった。
カネゴンやペッタンやヨッちゃんがどこにいるのかは、分からなかった。バスの到着順に乗客たちが球場に入り、席に着いていったので、おそらくずっと下の方に座っているのだろう。
眼下の守備練習は、いつの間にか高知の選手たちに変わっており、やがてそれも終了して、係員たちによるグラウンドの整備が始まった。
内外野のスタンドが、どんどん観衆で埋まっていき、ほとんどの空席が姿を消した。
そうして、数分。
場内アナウンスのウグイス嬢の声が、両チームのスターティング・ラインアップを読み上げ始めた。
先攻の、津久見。
1番、レフト、大田。
2番、センター、五十川。
3番、ショート、矢野。
4番、ライト、岩崎。
5番、セカンド、前嶋。
6番、キャッチャー、山田。
7番、サード、山口。
8番、ファースト、広瀬。
9番、ピッチャー、吉良。
後攻の、高知。
1番、センター、弘田。
2番、サード、武市。
3番、ライト、前田。
4番、キャッチャー、西森。
5番、ショート、光富。
6番、セカンド、橋本。
7番、レフト、松本。
8番、ファースト、崎本。
9番、ピッチャー、三本。
ピッチャー「吉良」の名前が読み上げられたとき、三塁側スタンドは大きくどよめいた。
またしても吉良か! 4連投か! 浅田は温存か!
「勝っても、吉良。負けても、吉良。小嶋のニイちゃん、腹をくくったみたいじゃあのう」
お茶を飲み、口を手で拭って、父が言った。
そして、
「今日こそは、山口に打ってもらわんとのう」
私の顔を見ながら、そう付け加えた。
父の言う通り、エースが投げ、キャプテンが打ちさえすれば、自ずと結果は出るだろう。
よし、投げてくれ。打ってくれ。そして、日本一になってくれ。ギュッと握り締めた私の両拳に力がこもる。
そのとき、主審の号令が響き、一塁側、三塁側の両ベンチから、それぞれの選手たちが勢いよく飛び出してきた。
ホームベースの前に向き合って整列し、帽子を取って一礼。守備に付く高知のナインは、そのままグラウンドに散っていった。
鳴り響く、サイレンの音。
第39回センバツ高校野球大会、決勝戦、いよいよプレーボール!
1回の表、津高の攻撃。
大太鼓を叩く音がドーンドーンと鳴り響き、
「カットバーセッ、カットバーセッ、つー、くー、みーっ!」
部員たちの声に観客たちも声を合わせて、威勢のいい応援が始まった。
マウンド上の高知のエース三本に対して、トップバッターの大田、三振。
2番の五十川、セカンドゴロ。
3番の矢野はセンター前に弾き返して、ツーアウト一塁となったが、4番の岩崎の打席のとき、ランナー二盗を試みて失敗。スリーアウト。
太鼓の音と応援の声が、止んだ。
1回の裏、津高の守り。
こんどは相手側スタンドから太鼓と声援が鳴り響く中、先発の吉良は、高知の先頭打者弘田をショートゴロに打ち取り、ワンナウト。
続く2番の武市を、ドロップで三振。3番の前田も同じく三振に仕留めて、スリーアウト。まずは、無難な立ち上がりを見せた。
2回の表、津高の攻撃。
この回先頭の4番岩崎が、ピッチャー強襲の内野安打で出塁。続く5番前嶋がバントで手堅く送って、ワンナウト二塁と先制のチャンスを迎えたが、次打者の山田が三振。
ツーアウト二塁となって、バッターは7番の山口。ツーストライクと追いこまれた後、ランナーの岩崎が三塁ベースへ果敢にスタートしたが、山口三振に倒れてスリーアウト。
2回の裏、津高の守り。
先頭打者の4番西森に、吉良、ストレートの四球を与えて、ノーアウト一塁。続く5番光富の打席に、ランナーの西森スタートを切り、盗塁成功してノーアウト二塁とピンチが広がった。
だがしかし、ここから吉良、ドロップの連投で光富をスリーバント失敗の三振に。続く6番の橋本も、7番の松本も、キラーボールで三振。結局、3連続の三振を奪って、ピンチを切り抜けた。
3回の表、津高の攻撃。
先頭打者の8番広瀬が、ストレートの四球で出塁。だが、次打者吉良のとき、高知投手西森の巧みな一塁牽制球に、誘い出された広瀬、一、二塁間で挟殺。吉良は、三振。
打順トップに戻って、大田だが、ショートゴロに倒れて、スリーアウト。
3回の裏、津高の守り。
先頭の8番崎本に、吉良、またもストレートの四球でノーアウト一塁。続く9番の三本には、送りバントを二度失敗させた後、最後は三振を奪ってワンナウト。
ところが、次打者の1番弘田に、またまたストレートの四球を与えて、ワンナウト一塁二塁のピンチだ。
だが、ここでも吉良は踏ん張った。
続く2番の武市を、ドロップで三振。このとき二塁走者の崎本、三塁を狙ってスタートを切っていたが、キャッチャー山田がすばやく送球して刺し、スリーアウト。ピンチ、脱出。
「ふうー。相変わらずフォアボールが多うて、ヒヤヒヤさせるのう。じゃあけんど、今日の吉良は、ドロップが良う落ちよるぞ。3回で、早くも7個の三振か」
父が言い、
「うん。甲子園で、もう42個目の三振じゃあ」
私が応じた。
(※注)エポック社の「野球盤」には、よく遊ばせてもらった。ホームベースの手前に仕込まれた磁石によって、カーブやシュートも投げられ、われわれ子供たちを夢中にさせた。超人気漫画「巨人の星」の「消える魔球」が投げられる新型が登場したときには、ああもうどうしよう!というくらい喜んだが、実際に買ってさっそく試してみると、ボールが「落ちる穴」とバットに挟まれたまま、試合が中断してしまうことがあった。懐かしい思い出である。
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