みかんの色の野球チーム・連載第10回
第2部 「連戦の秋」 その2
それから3日後の、日曜日。そして翌日の、月曜日。
玄関ドアの新聞受けから、配達されたばかりの朝刊を抜き取った父は、2日続けてスットンキョウな声を上げた。
「なんじゃあ、こりゃあ?」
「またまた、なんじゃあ、こりゃあ?」
父が驚いたのも、無理はない。届いたばかりの、4つ折りにたたまれた新聞の表面いっぱいに、赤いマジックペンで大きな「○印」が書きこまれていたのだから。
だが、父が長年購読しているその地元紙「大分日日新聞」のスポーツ面を、私も2日続けて読んだとき、このイタズラを誰が何のためにやったのか、すぐに分かった。
いよいよ土曜日から開幕した、高校野球の大分県南リーグ戦。臼杵市、津久見市、佐伯市の3市から出場する合計6チームの総当たり戦で、我らが津久見高校野球部の新チームは、幸先よく2連勝を上げていた。
この朗報を、赤い○印によって、真っ先に私に伝えたかった者。なおかつ、このエリアの新聞配達に関与している者。それは、我が友、ブッチンに他ならないではないか。
「そうじゃあ、俺じゃあ。よう分かったのう」
月曜日の登校中、私の隣を歩くブッチンが、笑いながら白状した。
「津高が勝っちょったら、『○』。もし負けちょったら、『×』。そうやって、試合の結果が新聞に出ちょるたんびに、赤ペンのサインで、おまえに教えちゃろうち思うてのう。じゃあけんど、今朝、おまえのとうちゃんから販売店の大将に苦情の電話があってのう。俺がやったち、すぐバレてしもうた。すげえ怒られたわい」
頭を掻きながら歩くブッチンの肩を、ポンポンと私は叩いた。
ブッチンの書きこみはなくなっても、津久見高校の新チームには勢いがあった。
臼杵高、臼杵商、佐伯高、佐伯鶴城高、佐伯豊南高を相手にした9月初旬のこの大会で、みごと5戦全勝の優勝。
続いて、各地区大会の成績上位2高、合計16チームのトーナメント制で争われる、9月中旬の大分県中央大会でも、津久見市民の愛するオレンジソックスはグラウンドを走りまわり、ダイヤモンドを駆けめぐった。そして優勝こそ県北代表の高田高に譲ったものの、準優勝という堂々の成績。10月に開催される、九州大会大分県予選のシード権を勝ち取ったのである。
「やった、やったあ!」
と、父。
「やったのう、やったのう! なんまんだぶ、なんまんだぶ!」
と、正真和尚。
岩屋町の名人も、大友町の名人も、このときばかりは棋敵の関係を忘れ、対局そっちのけで、津久見オレンジソックスの大健闘に快哉を叫んだ。
ブッチンの母親が倒れた。
それを知ったのは、9月も終わりに近い火曜日だった。
その朝、いつもの「生きちょんか」の挨拶がなかなかやって来ず、遅刻してはいけないと、1人で私は学校へ行った。
教室の中にも、ブッチンの姿はなかった。
ベルが鳴って福山先生が入室し、出席確認の点呼が終わった後、みんなに向かってこう言ったのだ。
「今朝、職員室に吉田から電話があった。お母さんの具合が悪いので、今日は看病のため学校を休むそうだ」
幼稚園のときから8年間、ブッチンが欠席するなんて初めてのことだったので、私は驚いた。体の丈夫な彼は、たとえ風邪を引いて熱があっても学校を休むことなく、次の日にはもうケロリと治って校庭を走りまわっていた。
だが、彼の母親が、息子ほどに丈夫なのかどうかは分からない。これまでに2度か3度、ブッチンの家に遊びに行ったとき、彼女に会ったことがある。痩せた、無口な人だ。みかんの缶詰工場で、働いているらしい。何人もの工員たちが手作業で、皮を取り除いたみかんの実だけを、シロップの入った果汁でヒタヒタにして缶に詰めるその工場は、港の南の外れにある。
ブッチンは、一人っ子だ。母親と、2人暮らし。父親は、家にはいない。「家には」というのは、ブッチンから聞いたことであって、では、どこにいるのかというと、私はよく知らない。もう長い間、都会に働きに出かけているのだと、一度、彼が言ったことがある。毎月、お金を送ってくるのだとも、彼は付け加えた。
でも、それはほんとうなのだろうかと、実は私は疑っていた。もしも彼の言う通りであれば、缶詰工場のきつい仕事を母親がやらなくても済むはずだ。毎朝4時半に起きなくてはならない新聞配達を、彼がやらなくても生活していけるはずだ。線路の向こう側にある小さな古い借家で、母と子2人で暮らさなくてもいいはずだ。
雨が降ろうが風が吹こうが、いつも明るく元気いっぱいに遊び、豊かな話題でみんなを楽しませるブッチンだが、自分の家や家族については多くを語ろうとしない。
私やペッタンやカネゴンやヨッちゃんの家には、彼はよく遊びに来るが、逆に私たちが彼の家へ遊びに行くことは、ほとんどない。それをブッチンが望んでいないことを、みんなは何となく分かっていて、暗黙のルールのようなものとして守っているのだ。
だから放課後、ブッチンの家へ様子を見に行く件について4人で相談したとき、私1人が代表者として赴くという結論に達したのも、ごく自然な成り行きだった。幼稚園からの馴染だし、家も近いし。
お見舞い品には、バナナを持っていくことにした。母親が好むかどうかは分からないが、ブッチンの大好物だから。学校の正門を出て、商店街の青果店に寄り、1人10円ずつ出し合ってバナナを2本買い、紙袋に入れてもらった。
ブッチン宅への道は、私の帰り道でもある。
青果店から歩くこと20分余り。自宅に着いた私は、ドアを開けるとランドセルを廊下に放り投げ、バナナを入れた紙袋だけを持って、再び外へ出た。
残暑はすでに去り、夕刻前の涼しい風が、顔や半ズボンから下の両脚を撫でさするように吹いていく。あんなに騒がしかったセミたちは、1匹残らず姿を消した。地面の下では幼虫たちが、来夏の訪れをじっと待っているのだろう。
遮断機の上がった踏み切りの脇では、国鉄(※注)のおじさんが1人、詰め所の中で煙草を美味しそうに吸っている。朝と夜に長い列をつくる貨物列車の他は、行き来する客車の少ないその線路を渡り、すこし歩いて、右へ。
そこには、周囲に数軒の貸家を持つ、高木正仁先生の豪邸が建っている。
先生は、長年、中学校の校長や教育委員会の委員長を務めていた地元の名士で、引退した今は日曜日のたびに自宅で習字の塾を開き、子供たちに硬筆や毛筆を教えている。私も小学3年生のとき通ったことがあるが、墨を磨るのと正座を続けるのが嫌で、1か月も経たないうちにやめてしまった。
この大家さんが所有する、貸家のうちの1軒が、ブッチンの家だ。
築後もう数十年は経過しているのではないかと思われる、その老い朽ちたガラス戸を、私はコンコンと叩いた。
しばらくすると内側からガラガラと戸が開かれて、ブッチンが顔を出し、私を見るなり、
「おう」
と、ぶっきらぼうに言った。
「おまえのかあちゃんが悪いち、先生に聞いて、心配して来たんじゃあ」
私が訪問の理由を述べると、
「おう」
またしても、そっけない声。
そこで私は、
「これ、お見舞い。俺とペッタンとカネゴンとヨッちゃんで、お金を出し合うて買うてきたけん」
そう言って、バナナの入った紙袋を差し出した。
それを受け取ったブッチンは、袋の中を覗き、
「おう」
今度は、嬉しそうな顔で言った。
私とブッチンは、彼の家から100メートルほど離れた、レンガ工場の跡地へ移動した。
母親が奥の部屋で寝ているので、話し声で起こしたくないという彼の気持ちはもっともだった。
数年前に廃業し、取り壊された工場だが、まだあちこちに建物の残骸が散らばっており、それらの中に低くて平らなレンガ塀を見つけて、2人は腰を下ろした。
私は口を開いた。
「大丈夫か? おまえのかあちゃん」
「おう。今朝、佐藤医院の先生に来てもろうて、診てもろうた。倒れたんは、過労のせいじゃあち。薬を飲んで、2、3日、横になっちょったら、良うなるち。俺も、明日から、学校に行くけん」
倒れた! 過労で! ブッチンの口から出た2つの事実に、私は衝撃を受けた。生活のために、倒れるまで働かなければならない人が、自分の身近にいたことが、ショックだった。1日中、テレビを観ている、私の母。1日中、缶詰工場で作業している、彼の母親。でも、私の父は忙しく仕事をしている。だが、彼の父親は……。
すこしためらった後、私は言った。
「のう、ブッチン。おまえのかあちゃんのこと、とうちゃんに知らせんで、いいんか?」
「え……」
「今日、かあちゃんが倒れたこと、とうちゃんに知らせたほうが、いいんじゃねえんか?」
「…………」
返事はない。しかし、私は彼の父親のことを、聞きたいと思った。いや、聞かなければならないと思った。
「のう、ブッチン。おまえのとうちゃん、もうずっと長え間、都会に働きに行っちょるち、前に聞いたけど、都会っち、どこ? 東京? 大阪?」
「…………」
「なあ、どこ? 横浜? 名古屋?」
「…………」
「京都? 神戸? 博多? 小倉?」
私が知っている都会の名前をすべて口にしたとき、突然ブッチンが立ち上がり、大声を発した。
「訊くなーっ!」
私は驚き、彼の顔を見上げた。彼は続けて大きな声で言った。
「訊くな! 都会は都会じゃあ! どこじゃろうと構わんじゃろうが! おまえに言わんでもいいじゃろうが!」
激しくわめくブッチンの顔を、私は見上げたままでいた。彼もまた、私を見下ろし、険しい目つきで睨みつけていた。
数十秒間の沈黙。
やがて彼は最後のせりふを残し、くるりと向きを変えて、工場の跡地を去っていった。
「都会は都会じゃあ。都会は都会じゃあ。都会は都会じゃあ」
1人になった私の周りで、秋の虫たちが鳴き始めた。
(※注)「日本国有鉄道」の略称。1987年4月1日に、分割民営化されたJR各社が発足するまで、日本の国有鉄道を運営していた公共企業体である。
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