自分の代わりはいる。だから安心して。
誰かの代わりは良い意味でも悪い意味でも存在するのだ。
友人でもパートナーでも代役は存在するのだ。
趣味も仕事も、代わりはいくらでもあるのだから。
どうやっても救えないパートナーはいつか他の誰かを探す。
自分の身の丈を越えるパートナーは他の依存先を探しに行くのだ。
だから、仮に誰かを愛せなかったとか、自分を責める必要はない。
どれだけ努力しても、その先に幸せは待っていない。
別れた後でもその人の人生はきっと続く、だから代わりを見つける事ができれば本人もパートナーも本当の意味で救われるのだろう。
パートナーが未熟だったとしても、本人が未熟だったとしても、お互い様でやっていくしかないのだ。お互いがどのくらい練習できて本番に活かせるかどうか、そういう話になっていくのだと思う。
友人もパートナーも全ては救えない。
誰でも自分の人生を送っている。他人の為に生きている訳ではない。
だから居心地の悪い相手とずっと過ごす必要はないのだ、それで本人が満足ならそれでもいいけれど、一人になるのが怖くないのならそういう生き方の方が幾分幸せに見れる。
だって、自分を含めた全員を救う事はできないのだから。
人間なんだから余裕を持ったコミュニケーションをしなさい
自分を動物と諦めるのならそれでも結構。ただ、人間になりたいのなら必要最低限でもいいから言語を話しなさいという事だ。
人間はそもそもエスパーじゃないのだから貴方の心まで読めない。
どれだけ優しさがあったとしても、その感情を汲み取る事ができない。
暗い過去があったとしても言わなきゃ何も分からない。
そして男性と女性ならそもそも脳の作り方が違う。
勿論、男性で女性寄りの考え方も女性で男性寄りの考え方も存在する。
だからこそ、話さないと何も分からないのである。
言わなきゃ分からないのではなく、お互いが勝手にエスパーを気取っているだけである。
お互いが見えている世界は違う。
信じる信じないの前に、人間のコミュニケーションがあまりにも少ないから衝突が起きるのだろうと自分で思っている。
その人が本当に疲れているかもしれないし、疲れてないかもしれない。
それだけでも見えている世界が違うのに、疲れている状態で、どうやって気持ちを汲み取ればいいのかという話になる。
何故ぶつかり合うのか、勝手に決めつけて思い込んで、勝手にお互いが喧嘩をしているだけである。もはや、人間じゃない動物なんだ。
そして、その状態で他人を変えようとするから大きな亀裂が発生するのだ。
上辺しか知らないのに、お互いが本当の姿を知ったような気になって
そこで他人を変えようとするから良くないのだ。
何年も過ごしたからとはいえ、言ってないこと、本人が言う必要がないと判断したことがあれば伝わる事は一生ないのだ。
子供ではなく大人のコミュニケーションを取りましょう。
僕達は貴方の親じゃない、だから他人を変えようとしても無駄でもある。
そして、相手も僕が親でもない。他者を変えるというのはある意味、「洗脳」に近しい物だと思っている。善意の元で「教育」ならいいけれども、そこまで関係性が構築できているかという話でもある。
大人の付き合いをしましょうという話である。
いつまでも、子供の時に許され続けたコミュニケーションを大人になっても続けてはいけない。そこで代わりのない本当の関係性が築けるのだと自分は思っている。