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人生をどうやって軌道修正するか。

人生にゲームオーバーは存在しない。
トゥルーエンドでもバッドエンドでも話は続いてく。

前に気持ちが進み続けるか、完全に心が折れて諦めるか。
それが人生というゲームなのだと思う。


誰だって目の前にお宝があったら飛び込んでしまう。
法律や道徳、倫理観を捨てる事は容易だ。

人間を辞めるか、人間として生き続けるか。
それが人生なのだと思う。

巡り巡って良い事をしたら返ってくる。愚行はツケが回ってくる。

人の為に行動すれば、回り回って自分にとっての得になる。
これは紛れもなく事実だ。そして、それが社会で生きる事なのだと思う。

そして、愚行は必ずシワ寄せが来る。同じように自分に返ってくるのだ。

何を信じるか。

自分を信じるというのも弱い。自分の意思が弱ければ簡単に道が逸れる。
パートナーを信じるというのも、実際は家族になれるかもしれないが、なれないかもしれない他人。責任は取ってくれないのでパンチとして弱い。
家族を信じるか?これもまた、軌道修正する前にそもそも道が形成できていない可能性はある。

じゃあ、何を信じればいいんだよ。

まずは自分の目を養って、少しずつ信じる事。

自分の頭で考えるのだ。これをやったらどうなるのか。
相手が人間なのか、道に逸れ続けた人間なのか。それを見るのだ。
他者の気持ちを自分に置き換えて、相手はどう思っているのかと、そう考えるのだ。例え、性別が違ったとしても、国籍が違ったとしても、自分から心を開くのだ。自分から歩み寄る事はできるのだ。

学生も大人も関係ない。いつだって人間を辞める事ができる。

学生も大人も老人だって、誰だって道を外す。
だけど、そこで残酷な事に話は終わらない。責任を取らなければいけない。
だから、生き続ける事は難しいのだ。

人間を辞める、別にカッコいい響きでもないしDIOになった訳でもない。
誰だって廃人になれるのだ。なりたいか?廃人に。
生気を感じずに、死んだように生きる。そうなりたいのか?

別に難しい話でもない。道を外れたら元に戻すだけだ。

人間というのは残酷な事にゲームオーバーでタイトルに移動してくれる訳じゃないんです。話自体は続くんです、呼吸が止まるまで。
だから、選択肢は二つ。休憩するか、軌道修正するかの二択なんです。

両津が言っているようにいきなり死ぬという選択をせずに、まずは生きる事を選択してから、どうやって軌道修正するかって話なんです。
死んだら本当に終わりなんです。軌道修正もないんです。

自分がどうなりたいか。

世界中が文字通り敵になるのを好むか、仲間と一緒に魔王を倒しに行くのか

規模の話でもありますけれどね、勿論、比喩として正しいかどうかは分かりません。ただ、遊びたいゲームが仲間と一緒に魔王を倒したいよねって生き方の方がいいと思うんですよ。別にヒロイン1人と主人公と魔王側でプレイしてもいいです。でもしんどいんですよ。魔王みたいに人間は強くないから。人間は魔王になれないんです。二人しかいないんですよ。
ヒロインがいなくなったら魔王は一人。それでもゲームを続けたいですか?

優しい根性論。どこに気持ちが向いているか。

少しばかり根性論というのは正しいとは思います。全肯定はしませんが。
気持ちが折れたら、そこでゲームは終わりに近づく「ピンチ」という状況になる訳です。死ぬわけじゃありません。再起不能になるだけです。
回復をしなければヒットポイントはゼロになります。ザオラルも、レイズもありません。その状態から回復しないんですよ。そして、ゲームオーバーにすらならない。死体蹴りのような状態になるんです。嫌でしょう?

気持ちさえ前に向いていれば、休んだって構わないんです。
ゼロから動かなくなるよりマシでしょう?

だから健康って大事なんですよ。身体に対する知識だって大事。
心に対する勉強も決して恥ずかしい事ではない。

他者は自分の責任は取ってくれませんからね。


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