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暴走族の原点
2014/12/18 記
マメセンのなんともない毎日の今日はもう、思い出話シリーズで終わるかね。
中学1年の頃かな、いつも遅い親父がたまたま早く帰り、3人揃って夕飯を食おうと思っていたのに俺の帰りが遅かった。
帰ってきて、食卓の前に座り、
「いただきます」
と、茶碗を持った瞬間正面から叩かれた。
首がのけぞり、反動でもどったとき、茶碗の飯が血で真っ赤っかだった場面が今も記憶に残る。
さすがにこの時は、やられるならやってやると立ち上がったが、右アッパー1発で玄関まで吹っ飛ばされた。
やっぱ勝てねぇと、慌てて鍵を開けて裸足のまま外に駆け出した。
上着の白ワイシャツは血だらけ。
チャリンコで追いかけてきそうな気がして相当の距離を走って逃げたな。
国造沿いにある大田区体育館まで走りついた時、夜鳴きそばの屋台でラーメン食ってたあんちゃんが俺の姿を見てすっ飛んできた。
まだガキの俺が、信じがたいほどの血にまみれているので驚いたようだ。
「なんだお前!血だらけで!誰にやられた!?」
と、辺りを見回す。
ドカジャンにパンチパーマ。当時の典型的な暴走族のいでたちだ。
「親父です」
と言うと、
「ん?」
と、困り顔。近くの水道で顔を洗うように言われ、無理やり洗わされた。
顔を洗うと屋台から呼ばれた。
屋台のカウンターには新しいラーメンができ上がっていて、
「食え」って。
なんで俺がラーメンを?
いくら断っても、いいから食えと。
仕方ないので口にするも、口の中が切れてるから食いにくい。
でも、夕飯食いそびれていたから、とても美味かった覚えがある。
するとあんちゃん、
「親父か…。親父には勝てねえんだよな。これからお前どうする?家に帰るのか?」
「いえ、日暮里にいるばあちゃんのところに行こうと思います」
帰ったらまたやられるだけだから、俺はたった1人のばあちゃんに泣きつくつもりだった。
「日暮里か。遠いな。ちょっと待ってろ」
あんちゃんは近くの公衆電話に電話をかけに行った。
ラーメンを食い終わる頃、戻ってきたあんちゃんは、
「連れに単車貸してんだけど、まだ帰ってねえんだ。送ってやれねえ。」
やっぱり暴走族だ。
するとあんちゃんは尻のポケットから財布を引き抜き、開いた。
チラリと見えたが、2千円しか入ってなかった。
でもあんちゃんはその全てを俺に差し出して、
「金ないんだろう、行けるとこまでいけ」
と、全然足らない2千円。でもそれはあんちゃんの全財産だった。
暴走族のあんちゃんにそんな義理を受けたら後でめんどくさいことにならないかと
「いやぁ、ダメですよ。」
と、言うもののあんちゃんは、俺の手に無理くり金を握らせた。
そしてこう言った。
「しょうがねえ。親父には勝てねえんだよ。今日は我慢だな」
って。
俺はビビって関わりたくないと思ってるから、あんちゃんの足元に、今握らされた2千円をそのまま置いて、
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
と、叫んでかけだし、その場から逃げた。
すると遠くからあんちゃんが叫んでる。
「おーい!親父には勝てねえんだからなー」
今でもはっきり覚えているよ。
かっこよかったな。歳をとるごとにあの人のかっこよさがわかるようになった。
暴走族は、俺にとってはあのあんちゃんが原点だったんだな。
それから2〜3年したある日。
俺の体力は親父を超えて腕相撲で圧勝した。
部活で鍛えられていたからな。
こういうとき、歳をとってしまった父親を見ては、少し寂しい気持ちになったとか言うだろ?
ふん、そんな気持ちはさらさらなかったね。
俺が思ったのは
「今度、俺やお袋に手をあげてみろ、叩き殺してやる」
だったな。(笑)
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PS
このあんちゃんがとても印象に残ってるせいか、金を簡単に差し出す癖があって、毎回騙される。
あの時俺はあの2千円に感謝感激したが、俺から金引っ張って返さないやつは俺と同じように感謝してるわけじゃない。
おっとやめよう。
俺も借りた金を返せないままの友人がいる。今回は必ず返して楽な気持ちになりたい。
それまでは他人のこととやかく言える立場じゃないな、ごめんごめん。